06.08.09.の流れ。幕間。
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「お兄様、あんまり無理はなさらないで下さいね?」

 優しく頬に触れてきた手は、ほんのりと冷たい。細い指が撫でるのが気持ちよくて、ルルーシュは自分の手を重ねた。ゆっくりと両の手をまとめ握り締める。
「……大丈夫だよ、ナナリー。俺は無理なんかはしていないから。兄上も良くしてくださるし、最近は周りも俺のことを認めてきてくれている。無理をする程のことはないから」
「お兄様、知っていますか?私は目が見えないんですよ」
 にこやかな笑顔を浮かべながら言われた内容にルルーシュは瞠目。するとナナリーはくすりと笑う。
 困惑しながら「ナナリー?」と名前を呼べば、ナナリーは可愛らしく首を傾けながら続けた。手はルルーシュの両手を握り返していた。
「お兄様、困っているみたいですね。でも私にはお兄様が困っている顔は見えないんです。だから笑っている顔も見えないんですよ」
「…ナナリー?」
 何を言いたいのかと問えば、ナナリーは閉じた瞳の奥で笑う。
「ですからお兄様が無理に笑ったところで私には意味がないんです。心配をかけたくないというお兄様の気持ちは嬉しいのですが、私にもお兄様の心配はさせて下さい。こうやって手を握ることくらいしか私にはできませんが、せめて側に居させて下さい」
 優しい声音。軽やかな響き。包んでいた筈の両手はいつの間にか包まれている。唯一の存在はルルーシュの心に染み渡る。
「ナナリー……」
 ぎゅ、と少女の小さな手を握る。そうすればナナリーも呼応するよう指をルルーシュの手に絡めてきた。
 弱音を吐くつもりなどは一切なかった。しかしナナリーは的確にルルーシュの機嫌というものを察知し、そして確かにルルーシュは彼女の温もりに慰められた。
 どうして自分の機微に気付いたのかと問えば、ナナリーは彼女らしい笑顔でその訳をルルーシュに語った。


 ―――――実妹とのそんな遣り取りを思い出して、ルルーシュはこういう事だったのかと得心がいった。

 目の前で変わらず執務に励むその人の表情から疲労は窺えない。ルルーシュが話しかければ彼はいつものように泰然と微笑む。あの遣り取りがなければ、義兄のこの穏やかさを疑わなかったかもしれない。けれど一度違和感を覚えてしまえば、それはほぼ確信に変わった。
「……兄上」
 ルルーシュが呼べば彼は顔を上げる。何だね?と問いかけてくる表情に奇妙な溝を感じてしまった自分には気付かない振り。
「……やらなければならないことが多いのは承知しています。けれど休まなければ兄上とて身体を壊してしまいます」
「…何を言っているんだい?」
 首を傾げる相手にルルーシュは暫し逡巡。
 自分が口を出していいものかと悩んでしまうのは、相手のことを相変わらず計り知れない故に距離感を未だ掴めていないから。煩わしく思われないだろうかと思ってしまうのも無理はない。敬愛と畏怖で固められた相手の内情に口を出そうと思えば、緊張もする。
「………兄上は疲れていらっしゃるのではないですか?」
「……どうしてそう思うんだい?」
 シュナイゼルは持っていたペンを置いた。そして傍らに立つルルーシュを見上げる。
 その視線を浴びてルルーシュは少しばかり押し黙る。しかし一度発してしまった言葉は戻らず、先を続けるしかない。
「……なんとなく、疲れているご様子に見えたので」
「参ったね…そんなに私は疲弊しているように見えるのかな?」
 苦笑。彼が常に穏やかに構えているのは周囲に腹の内を読ませない為のところが大きい。それが崩れてしまったのかと思案する相手にルルーシュは慌てて首を振った。
「いっ、いえ…!兄上は普段とお変わりなく…っ、て、それじゃおかしいんですが、そんなあからさまに疲れてらっしゃるとかそういう訳でもなく……っ」
 珍しくも取り乱すルルーシュにシュナイゼルは「うん?」と興味深そうに視線を注いでいる。その殊更愉しそうな様子にルルーシュは気付くことなく、とりあえず息を整えた。少しの間はどこから説明すればいいのかと思考を要した為。視線を彷徨わせたのは些かそのままを話すことに抵抗を覚えたからだったのだが、ここまできたら話さざるを得まい。自棄にも近い心情。
「……以前、ナナリーが無理に笑わなくていいと言ってくれたんです」
 シュナイゼルは黙ってルルーシュの声を聞き入れている。
「ナナリーは目が見えない分、相手の息遣いや雰囲気で様子がわかるみたいで。…俺が少しだけ疲れている時も見抜いてしまって」
 バツが悪そうにしながらもルルーシュの表情はどこか嬉しさが滲んでいる。その様子にシュナイゼルは相槌を打つ。
「ナナリーはお前のことをとても気遣っているんだろう。彼女の為にもルルーシュ、あまり無理はしてはいけないよ」
 そう言えばルルーシュは少しばかり困ったように苦笑い。ナナリーにも言われました、と言う声は小さい。
「……俺はナナリーと違ってそんなに鋭くないし、ナナリーに言われなければわからなかったとは思いますが」
「………」
「兄上。疲れているなら休んで下さい。事務処理なら俺か必要とあらばクロヴィス兄上にもご助力頂きますから」
 権限はそれなりにありながら芸術方面に才覚を見いだしている異母弟の名前まで出され、シュナイゼルは一瞬呆けた顔をしたがそれも直ぐに笑みに変わった。その顔に内側を暴かれた不快感はなさそうだとルルーシュは異母兄に悟られないよう、ほっと一息。そのルルーシュにも気付いていないところを見ると、確かにシュナイゼルは疲れていたのだろう。
「参った。降参だ、ルルーシュ。……確かに疲れが溜まってるなとは思っていたが、見破られない自信はあったんだがな」
「……兄上のそういう所、立派だと俺は思っています」
 ルルーシュの答えにシュナイゼルは少し目を瞬かせたが、それもゆるりと細めた。
「―― そうだね。差し当たって急を要する案件もないし、少し休むことにしようか。……ああ、クロヴィスにも協力してもらおうとはいい案だと思うよ、ルルーシュ」
 そういえばルルーシュも不必要に張っていた肩の力を僅かに抜いたよう、口元に笑みを浮かべた。
「ではクロヴィス兄上でも足りるものは俺の方で分けておきます」
「あの子もあれでいずれは役に立ってもらわなければ困るからね。少しは学ぶいい機会だろう」
「…そういう言い方ばかりしていると俺が泣きつかれるんですが」
「なに、鞭も使いようだよ」
 今頃、噂の第三皇子はくしゃみでもしているんじゃないかとルルーシュは思う。彼はルルーシュにとって気の許せる唯一の兄と言ってよいのだが(目の前の異母兄は決して気の許せる相手とは言えまい)如何せん年上という割にこちらの気苦労が多い気がする。そんな異母兄を思い出せば残っていた肩の力もどっと抜けた。
「……では、俺は一度下がります」
 一歩足を引いて、礼。を、したルルーシュにシュナイゼルは「何故?」と不思議そうな声。
「……は?」
「何故、お前が下がる必要がある?」
 そんな問いにルルーシュは当惑。
「いえ、俺が居ては休まれる兄上のお邪魔に…」
「何故?ナナリーはお前の側に居たのだろう?」
「え?それは、そうですが……え?」
 何かがおかしい、そう思ってもシュナイゼルの綽々とした態度の前に何がおかしいのか判別がつかない。ナナリーならともかく自分などが側に居ても邪魔にしかならないとルルーシュは思うのだが、シュナイゼル当人に引き留められてしまえばルルーシュに選択肢はない。かと言ってそのまま残るにも気が引け、ルルーシュは硬直。そんなルルーシュの内心を思ってかどうか、シュナイゼルは立ち上がって部屋の中央にある来客用のソファにと座った。またルルーシュに正面に座るよう、促す。
「あの、兄上…?」
「たまには何もせずお茶を飲むのも良いね。ああ、それともチェスでもしようか。いい気分転換になりそうだ」
 シュナイゼルの提案にルルーシュはただたじろぐ。
「あ、兄上、その、疲れていらっしゃるのでは……」
「ああ。だから休憩しようと言ってるのではないか。私が休んでいるのにお前だけ働かせるようなことはしないよ」
「いえ、あの、そういうことでもなく……?」
 段々と自分の思惑に自信がなくなってきた。完全にシュナイゼルのペースに落ちたルルーシュは、結局ほんの少し動揺に時間を要した後に言われるがままに異母兄の対面側に座る羽目となった。その間も頭の中では現状の不明さが悶々と渦を巻いていたのだが、シュナイゼルがいつの間にか手配したティーセットの前に最早この場を辞する術もなく。
 シュナイゼルの気がこれで晴れるかどうかなんてルルーシュにわかるわけがないのだが、とりあえず自身にとっては決して字面通り休息にはなるまい。これもひとつの試練なのか、とルルーシュが変な勘違いをしていることもまたシュナイゼルは知るまい。

 この後、定期的にこうした休息を取ることになるのだが、今のルルーシュにそんな未来を知る由がなかった。



11. 上手な笑い方は心得ているはずだったのに、どうして見破られた?




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時系列09後、幕間っぽく。兄は喜んでるわけですが、意思の疎通が全く出来てない兄弟。先は長い。
きな子/2007.07.19