06.08.の流れ。
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 気配を押し殺してしまうのは殆ど癖のようなものだった。
 特に日本――今はエリア11に名称を変更している――に居た頃は、同い年の少年しか気を許せる相手が居なかったから(そういえば彼は無事にしているだろうかとルルーシュはふと思う。アッシュフォードに匿われて異母兄に保護、本国へ連れ戻されてから一切連絡を取っていない。しかし彼ならば無事だろうという確信もあった。)常に人の気配には敏感になっていたし自分の気配にもまた神経を張り巡らさなければならなかった。妹を守るためにはどれだけ用心してもし足りなかった。
 だから本国に戻り、第二皇子の元に身を寄せることになった今も、ルルーシュは常に人の気配に過敏だった。
 以前、異母兄に「そんなに気を張らなくても大丈夫だ」と諭されたことがあったが、そうと言われても擦り込まれた癖は抜けるものではない。元々ブリタニア王宮はアリエス宮以外はどこに罠があるとも知れない場所だった。母国を追い出されまた日本から連れてこられてまだそう長くもないルルーシュがいきなり肩の力を抜けと言われてその通りにできる筈がない。
 ルルーシュを引き取った異母兄は優しかった。
 彼はルルーシュの為にと様々な手配をしてくれたし、信頼できる異母姉の元へと預けたナナリーのことも心配ないと何かと気遣ってくれているし、会いに行く時間も許す限り作ってくれている。何故こんなに自分によくしてくれるのか、ルルーシュは解せない時もある。しかし厚意を下心と疑うのはあまりに失礼だと思わざるを得ない具合だったし、どんな思惑があるにせよ彼のお陰で今の自分があるのは事実だ。―――ならばせめて彼の力になれれば。ルルーシュは己の知力が他者よりも長けていることを自覚している。そもそもルルーシュは異母兄の庇護下に甘んじるつもりはなかった。いつかブリタニアという国の頂点に立つだろう男の側で力を得ることは、ルルーシュにとってメリットの大きいことだ。シュナイゼルもまたそれをわかっているからこそ、ルルーシュを側に置いているのだろうと思っている。
 ルルーシュにとって最早シュナイゼルはなくてはならない存在だった。異母兄として彼を尊敬しているし、恩人として彼に感謝もしている。現状のブリタニアを壊すという共通の目的を持つ同士でもあった。
(……少なくとも、今のところ兄上は俺を買って下っている、筈)
 でなければあの異母兄が些末なことといえど機密事項に関わる案件をルルーシュに処理させようなどと思うとは思えなかった。兄弟の情やらで物事を判断する人間ではないことはルルーシュ自身がよくわかっている。そんなことは彼の立てた作戦を見れば一目瞭然だ。常に勝利を目的とし、私情を挟ませない指揮能力。温厚でいながらもその内情は計り知れない。あのような作戦は易々と立てられるものではない。ルルーシュはシュナイゼルのことをそう判断していた。
 彼の下で己の身とナナリーの安全を守る為にも、望みを叶える為にも、ルルーシュは力を得なければならない。
(分かり易い構図だな)
 けれどほんの少し、ほんの少しだけ、心の何処かで期待している自分が居ることをルルーシュは気付いていなかった。


 シュナイゼルの執務室に近付いたところで、ルルーシュは室内の明かりが漏れていることに珍しいなと思う。更にぼそぼそと話し声が聞こえ、来客が居たことをルルーシュに教えた。
 そういえば今日は来訪者があるとシュナイゼルは言っていた気がする。確か純血派の中でも特に皇族崇拝主義の男だったか。軍部でもそれなりの地位に立つ男は、第二皇子の後見であった筈だ。シュナイゼルも邪険に扱える相手ではなかろう。
 ちょうどそれとかち合ってしまったらしい。
 先客が居るなら、後にしようか―――ルルーシュは扉の前で暫し逡巡、引き返そうとしたその矢先。
「―――ところでシュナイゼル殿下。最近、お気に入りの弟君がいらっしゃるとの噂ですなぁ」
 耳に入ってきた野太い声。馴染みのない声はあまり気安いものとは思えず、どちらかというと厭らしい類の人物像を彷彿させる。ただルルーシュは彼の言葉に身体を硬直させた。
(……俺のこと…?)
 最近シュナイゼルがお気に入りの弟。自分以外、他に思い当たる宛もない。
 ルルーシュは盗み聞きをするつもりは一切なかった。それでも己のことかと思うとつい聞き耳を立ててしまうのは好奇心などといったものとも少し違う。咄嗟に動けなかった、というのもある。
 ルルーシュは立ち止まったまま、室内の会話に耳を傾けた。
「噂に聞くところ、マリアンヌ皇妃の遺児を保護したそうではないですか」
 その物言いが歓迎してる事柄ではないことは声音だけで知れる。言外に身分の低さを蔑む色に、ルルーシュは腹立たしさからぐっと拳を握った。一方でシュナイゼルが微笑む気配。彼はどんな相手にも柔和な態度を崩すことが滅多にない。
「ええ。エリア11にて行方知らずになっていたのですが、無事見つかりまして―――生憎、妹の方は目と足を不自由にしてしまった為、今はリ家にて静養していますよ」
「ほぅ…よくあの皇妃がお許しになられたものですな?」
「コーネリアが独断で保護したようなものですから。あの子は昔からナナリーをユーフェミアと一緒に可愛がっていましたからね」
 あの子は情に厚いんですよ、とシュナイゼルが言えば、男は興味深そうに唸る。そして笑った。その笑い方がルルーシュは気に食わなかった。
「あなたも珍しい情けをお見せになったご様子で」
「…と、言いますと?」
「シュナイゼル殿下は確かにご兄弟に贔屓目なく接しておられるとの噂ですが、特定の者に情け深い温情を見せることは大変珍しいとお見受け致します」
「おや、そうでしたか?」
 シュナイゼルの態度はどこまでも飄々としている。内面を見せるような真似をしないのがシュナイゼルだ。
「……その、ルルーシュ殿下と仰いましたか。あなたが側に置くと言うことは使えるので?」
 その疑問にルルーシュの肩が跳ねた。露骨な物言い。しかしブリタニアなら何て事はない、当たり前に過ぎないこと。ルルーシュとて理解していた。嫌、というほどに。シュナイゼルが自分を庇護してくれるのは確かに僅かばかりの情があるのだろうが、力がなければいづれは役立たずとして切り捨てられるのだろうと。優しい兄に甘んずることは決して許されまい。
 そんなことはわかっていた。わかっていた、筈だった。
「………私がルルーシュを側に置くことがそんなに不思議ですか?」
 シュナイゼルの態度は全く変わらない。ゆったりと微笑むばかり。じとり、ルルーシュは嫌な緊張を覚える。
「不可解ですな。マリアンヌ皇妃といえば下賤な、どこぞの血筋ともわからないような名だけの皇妃。没落したアッシュフォードとてめぼしいところは何一つとしてない。そんな貧相な立場でしかないルルーシュ殿下を、次期皇帝さえ囁かれているあなた程の方が引き取った理由というものが気になって仕方ないのですよ」
「つまり閣下はルルーシュがお気に召さないと」
「そうは言っておりません。ただ私だけでなく、多くの者が同じ疑問を抱えているのも事実なのです」
 そこでシュナイゼルが「ほぅ?」と身動ぐ気配がした。ルルーシュは自分の手が細かに震えていることに気付かない。ただ耳に入ってくる会話に支配されるばかり。
「……そうですね。では、こう言っておけばあなた方も安心するでしょう。私は、ルルーシュの潜在能力に期待しているのですよ。アレはまだ幼いが、いずれは私の役に立ってくれるだろうと」
「その確証がどこに?」
「ありませんよ、そんなもの」
 シュナイゼルはおかしそうに笑った。本当におかしそうに言うものだから、ルルーシュはぞわりと背筋に何かが走る気がした。シュナイゼルは淡々と続ける。
「まあ、あと数年したら自ずとわかることでしょう」
「殿下が正しかったか、私共の方が正しかったのか」
「そうですね。…その時に捨てられていなければ良いのですが」
  シュナイゼルは穏やかに言う。何の感情も見えない声で。ただ事実を述べた。
 男が笑う声が聞こえた。しかしルルーシュはもうその場を離れていた。元々大した用事があったわけではないのだ。あの男が居るところに入室する気持ちには決してならなかったし、シュナイゼルともまた面と向かって話す気分にはなれなかった。
(……俺に兄上の役に立つ力がなければ、兄上は切って捨てるのだろう)
 そんなことはわかりきっていたことだ。わかりきっていたことの筈なのだ。
 ルルーシュは無意識の内にどれだけの距離かを走ってから、廊下の真ん中で立ち止まった。周囲には誰もいない。口元に笑みを浮かべ、このまま笑いだしてしまいたい気分だった。その確かなる理由はルルーシュはわからない。ただ、無性に。
(……ここをどこだと思っている。ブリタニアだ。あの男の国だ。そして兄上はほかならぬあの男の息子。そして俺もまた、)
 忌々しい事実を並び立て整理する。
(……そうさ。何を動揺することがある?今の居場所を失わない為には、俺は力を手に入れればいいだけだ。)
 異母兄の側に居たいならば。彼が差し伸べてくれた手に感謝するならば、どの道彼の役に立てるよう力をつけなければならない。単純なことでしかないのだ。
 どちらにせよルルーシュは力が必要だった。異母兄に捨てられないだけの力を手に入れなければならなかった。だから先の会話はルルーシュにとって意味のあるものにはならない。シュナイゼルの口から直接、己が捨て駒になりうるのだと言われたところで―――ルルーシュはそうはならなければいいのだと、ただ、そう思った。


 その数年後、軍上層部にいた純血派の人間の幾人かが失脚することとなった。中にはかつて第二皇子の後見を務めていた者もあったのだが、その頃には既に縁切られている者が殆どだった。正しく言うならば、第二皇子に切り捨てられたことで彼らは失脚の一路を辿ることとなったのだが、その真相を知る者は極一部の人間に過ぎない。闇に葬り去られた真相が明るみになることはなかった。
 その頃にはルルーシュは周囲が第二皇子の腹心と認めるだけの実力を備えていた。


 彼が微笑みながら口にした言葉の真実もまた、闇の中へ消えた。



09. 麻痺した心は深く突き刺さった刃にも気が付かなかった




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擦れ違いというか勘違いというか早とちりというか。割と分かり易めの兄。
きな子/2007.07.15