「――グラスゴー?」
呟くようなルルーシュの声。え? と、スザクが聞き返そうとしたその瞬間、蝉や鳥の鳴き声ばかりだった辺りに異質な音が混じった。そしてあっという間にそれはスザクの視覚でも認識でき、頭上を突風が掠め目と鼻の先にそれが降り立った時は無意識にもルルーシュの頭を掴んで廃墟の陰に押し隠していた。
「ブリタニア…!」
それはスザクにとって、母国を蹂躙した相手であり、ルルーシュたちを裏切った憎い相手でもあって。ルルーシュがスザク以上にブリタニアを憎んでいることは、その視線の厳しさからも知れること。
数台の人型の機械が、荒廃した大地に立つ。
その中から幾人かの人間が降りてきたのを確認した瞬間、スザクとルルーシュの間に緊張が走った。
見つかるわけにはいかないと。本能的に隠れ、敵の動向を窺う。
人気がなく静まり返っていた周囲は、怒鳴り声と共に騒がしくなる。
数人の男たちが何かを探すように辺りを走り回っている。次第に近づいてくる足音に嫌な緊張を高めながら、その怒鳴り声の内容に耳を傾ける。
「――――……の足……、そう遠くには行っておられない筈だ!」
長身の、軍服をがっちりと着込んだ男。石場の廃墟から覗いたスザクは何人かのブリタニア軍人を確認する。人よりも身体能力に優れているスザクは視覚も聴覚も人並み外れている。傍らのルルーシュはまだ男たちの姿を鮮明には認識できないらしく、厳しい表情で状況を窺おうとしていた。状況の変化に敏感に気づき目を覚ましたナナリーに、小声で大丈夫だよと宥めながら、静かにしておくように言い聞かせて。スザクはそんな兄妹の様子を横目に見ながらも、こちらに向かいつつある男たちの様子を探ることに神経を尖らせる。
「――あの方々は必ず生きていらっしゃる! 何としてでも見つけだし保護することがてきなければ、我々の命もないと思えっ!!」
何やら、誰かを探しているらしい様子にスザクは首を傾げる。こんなところに何があるというのだ――それも、あんなにも必死になって。
抱えた疑問は、更に大きくなった男の声が、答え。
「どこにいらっしゃるのですか……――――ルルーシュ殿下…っ!!」
「え?」
思わず、口に出してしまった声。しかし慟哭のような唸り声はルルーシュの耳にも届いていたのか。
その名前の持ち主を条件反射のように見やれば、ルルーシュは呆然と目を見開いていた。
そして、呟いた。
「ジェレミア……?」
相手を知っているかのような響き。疑いながらも、確信しているかのような。
スザクが声を出すこともできないくらい驚けば、まるでルルーシュの呟きに呼ばれたように、ブリタニア人は廃墟の陰に気がついた。
訝しがるように目を細めた男は、次第に驚愕に目を瞠る。“見つけた”彼は、信じられないとばかりに体を硬直させたが、一定の距離の向こうで叫んだ。
「――――っ………ルルーシュ殿下……っ?!」
その瞬間、ビクリと跳ねたルルーシュの体。そんな様子をスザクは微動だにせず見るしかない。
必死な形相で駆け寄ってきたブリタニア人は、ルルーシュとナナリーの姿を認めた瞬間、自分の等身の半分にも満たない子供に向かって跪き、涙を流した。
「ルルーシュ殿下! ナナリー殿下…! よくぞ、よくぞご無事で……っ!!」
ルルーシュの隣にいるスザクには目もくれていない。探し人が見つかったことに喜び咽び泣く自分よりも一回りも上であろう男の姿は、純粋にルルーシュたちを案じていたことが窺われて。
全く予期しなかった事態にスザクはただただ呆然とする。
一方のルルーシュはといえば、彼もまた唖然としていた。が、何故、と呟いた様子から、ブリタニア人に対する嫌悪感は見えなかった。
「……何故、何故、お前がここにいるんだ、ジェレミア」
震えながら問う声。その声に潜んだ感情を、スザクは読むことができない。
男はルルーシュの問いにまた頭を下げる。
「申し訳ございません、ルルーシュ殿下…っ!本来ならば日本に侵攻する前に…いえ、それ以前に殿下方を迎えに来なければならなかったというのに!」
「はっ! 人質に送られた僕たちを迎えにだと?! あの男がそのようなこと許すわけないだろう!」
唐突に苛烈に怒りを露わにしたのは、全ての根元である父親を思い出したからか。吐き捨てるように怒鳴るルルーシュに、ジェレミアは困惑したように眉を下げた。
「恐れながら殿下。…陛下はこの件に関して、関与されてはおりません」
「ッ! ならば――ッ!!」
ルルーシュの激昂は収まらない。より声を荒げる姿はスザクが初めて目にするもので。しかしルルーシュの感情を制したのは、ジェレミアの次の言葉だった。
正しく言えば、ジェレミアが口にした名前だった。
「――この件は全てシュナイゼル殿下のご指示です。私はシュナイゼル殿下のご指示を受け、エリア11に渡る権利と秘密裏にあなた方を早急に保護する任を任されたのです」
「――――っあ……っ」
瞬間、ルルーシュの感情が激しく揺れた。
泣きそうなくらいに眉根を寄せたと思えば、呆然と目を見開いて。震える唇からは言葉にならない音を発して、視点は定まらない。
かろうじて発した「あ、……ぅえ…っ」という音がどう形付くのかスザクにはわからなくて、奇妙な不安に駆られたスザクは「ルルーシュッ!!」と叫んでいた。
こんなにも不安定なルルーシュを見るのは初めてだった。常にナナリーの為に強がっていたルルーシュが、初めて見せた戸惑い。それがスザクには信じられない光景として映る。
ルルーシュが。あのルルーシュが。――自分の知らないルルーシュが。
「――……っ! おいっ、ルルーシュッ!!」
瞬間、ぱんっ! と渇いた音。
「っ!」
「っ?! 貴様ッ! ルルーシュ殿下に何をするっ!!」
我を失いつつあったルルーシュを現実に引き戻そうと、無意識の内に頬を殴っていた。その行為に激昂したのはジェレミアで、殴られたルルーシュはといえばようやく目が醒めたのか、それでもスザクにしてみればぼんやりとしたままだ。
そんなルルーシュが我に返ったのは、ジェレミアがルルーシュを殴ったスザクに手を上げようとしたその瞬間。「やめろジェレミアっ!!」と焦りながらも慄然とした音は他者を支配することに慣れた響きで、それに従うようピタリと腕を止めたジェレミアに、再びスザクは嫌な焦燥感が募る。
「しかし殿下! この者は殿下をっ」
「スザクに手を上げることは許さない! スザクは僕の友人だっ!!」
迷いなく宣言された内容に驚いたのはスザクもジェレミアも同様で、凝視するかのようにルルーシュを見やれば、彼は落ち着きを取り戻したのか今にも噛みつきそうな勢いでジェレミアを睨んでいる。そんな視線に戸惑い、元凶たるスザクを恨みがましく見ながら。しかしそんな場合でもないと思ったのか、ジェレミアはスザクから逸らした視線をルルーシュに合わせた。真摯に、傅きながら。
「……とにもかくにも、ルルーシュ殿下。ナナリー殿下と共に本国にお戻り下さい。――シュナイゼル殿下が、お待ちです」
「っ…」
また、ルルーシュは困惑の表情。どうしてルルーシュがこんなにも惑うのかスザクにはわからない。
だってブリタニアはルルーシュを裏切ったのだ。ナナリーを傷つけたのだ。彼ら兄妹を見捨てた国。今更、戻れと言われて大人しく従えるはずもないのに、どうしてルルーシュは男の手を振り払わない。
『シュナイゼル殿下』という名前を聞く度に、どうしてそんなにも泣きそうになる。
頭の中を駆け巡る思考を余所に、スザクの前で繰り広げられる会話。
「殿下……お気持ちは、わかります。しかし、ナナリー殿下の為にこそ、どうか本国へお戻りいただけはしませんか」
「ナナリー、の…?」
傍らでずっと兄の様子を見守っていた少女。ルルーシュが何よりも大切にする妹を引き合いに出したことが、またスザクの癪に障る。
「は…本国程に医療技術が発達している国は他にはありません。それにシュナイゼル殿下が、コーネリア殿下とクロヴィス殿下もお二人を守ることに力は惜しまないと約束なされたと仰っておりました。特にナナリー殿下のお身体の事はお二人の殿下も心を痛めておられ、何としてでも治して差し上げたいと」
「姉上と、兄上が……」
ルルーシュの瞳が揺れる。呟いた呼称の中に潜む、相手への情。微かな信頼と親愛は、スザクと出会う前のルルーシュが持っていたもの。
「本国では、ルルーシュ殿下とナナリー皇女殿下のお帰りをお待ちになっている方々がいらっしゃいます。どうか――!」
それがスザクの我慢の限界だった。
「ッ――――いい加減にしろっ!! ふざけるなっ、何がルルーシュたちを待っているだ、守りたいだっ! ルルーシュとナナリーを裏切っておきながら、何なんだよ今さらっ!! ルルーシュはブリタニアなんかに帰らせないし、ナナリーだって俺が守るっ! お前らなんかにこいつらを渡してたまるかっ!!」
いつの間にかジェレミアとルルーシュの間に割り入ったスザクは、ルルーシュを乱暴に後ろに押しながらジェレミアを激しく睨む。怒鳴りながら「ルルーシュとナナリーは渡さない!」と主張すれば、ジェレミアは唖然とスザクを見ているし、ルルーシュも元々鈍かった反応がまた驚愕から固まっている。
しかしジェレミアは我に返るのも早く、直ぐにスザクに負けじと睨み返した。説得の邪魔をされたジェレミアの機嫌は大層悪くなり、先ほどにルルーシュを殴った件も含め、スザクに対する印象は既に最悪なもの。ルルーシュに向けていた視線は一転、睥睨しながら「貴様はさっきから何なのだ!」と怒鳴った。
「ルルーシュ殿下に手を上げただけでも不敬罪に値するというのに、この期に及んで更なる無礼を働く気か! これ以上、邪魔をするつもりなら――」
「なら何だよ! 不敬罪? 知ったことか! だいたい、あんなの日常茶飯事だっ! コイツは頭でっかちなばっかでしょっちゅうずっこけてその辺で頭ぶつけてたんだし今さら俺に殴られようが蹴られようがどうってことないだろ!」
「きっ、貴様…っ!!」
「そもそもブリタニアの皇子様ってなら戦争しかける国に行かせてんじゃねぇ! 今さらなんだよ、全部全部! 兄弟か何か知らないけどっ、どうして今なんだよ! 助けるつもりがあるならもっと早く来れた筈だろう?! それなのにひょっとしたら戦争に巻き込まれて死んじまってたかもしれないのにっ、今さら…っ!!」
「っ――! 貴様みたいな子供に何がわかる!! そもそも今回の日本侵攻とて、死んだ首相が浅はかな抵抗などしなければもっと穏便にすんだはずなのだ! それどころか貴様らイレブンは殿下方を害したなどと嘯き、でっち上げた遺留品などを送りつける始末! シュナイゼル殿下が采配されなければ、この国はより焦土と化していたのだぞっ!」
「うるさいっ! そんなこと俺たちには関係ない!! お前らは――っ」
更に激しくジェレミアに食いかかろうとするスザク。勢いのあまり前のめりになったスザクの腕を掴み、「スザク!」と制したのは、背後に追いやられていたルルーシュだった。
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