「本日のご予定は戦禍で親を亡くした孤児院への慰問と、医療学校への視察、夕刻には貴族の方々とのお夜食会になります」
 昨日とも一昨日とも殆ど変わりのない予定を告げられて、「わかりました」の一言。さすれば用は済んだとばかりに機械的な動作で執事は部屋を去る。
 与えられる公務を蔑ろにするつもりはないけれど、毎日毎日同じことの繰り返しに飽き飽きしてきたのはつい最近のことではない。
 同じような慈悲の言葉をかけて、同じような光景を見て回って、同じような噂話に耳を傾けて相槌を打って。そして同じ言葉で傅かれて。
 こんなことがしたかったわけではないのに、と考えて、ならば自分がしたかったことは何だったのだろうかとまた同じ疑問。しかし公務とは言えど、本当はこんな気持ちで行って良いものではないこともわかっている。
 思わず出てしまった溜め息も、もう何度目のものかわからない。これではダメだと頭では分かっているのに、こうなってしまう自分の進歩のなさが恨めしい。
 せめて近付ければと思った人は、もうどんどんと遠くに行ってしまった。結局、置いてかれたあの頃から何も変わらないのだと思うと、ユーフェミアは忸怩たる思いに苦しくなる。
 ……否、変わったことはある。
 本当は、あの頃と比べたら何もかもが変わってしまったと言う方が正しいのかもしれなかった。
「――スザク。居ますか?」
 扉に向かって話しかければ、すぐにそれは開かれた。白い騎士服をまとった青年は丁寧な礼をしながら「お呼びですかユーフェミア殿下」と畏まった口調。
 最初に会った時は親しく愛称を呼んでくれたのに、騎士と主という関係になってから彼はこの態度を崩そうとはしなかった。ユーフェミアも、改めるように言うことはなかった。彼があるべき姿で自分に仕えてくれることでユーフェミアも自分の立場というものを自覚できたから、彼の存在はとてもありがたいものにすら感じられる。ユーフェミアはほんの少し前に己の騎士となった枢木スザクを信頼していた。
「今日の予定は聞いていますか?」
「はい」
「ならば今から出掛けます。車の手配をお願いしますね、スザク」
「イエス・マイロード」
 敬礼の後、スザクは部屋を退出する。ユーフェミアも用意されていた上着を羽織ってから、彼の後を追おうとした。
 が、部屋を出ようとしたその瞬間、机の上に開かれたままの端末が音を立てた。聞き慣れたそれはメールの着信音。急ぐわけでもないのでユーフェミアは戻り、そのメールをチェックする。
「……ナナリーから?」
 とかく珍しい相手でもない。昔から親交が深く、今でも度々顔を合わせている異母妹。
 何かしら、と思ってメールに目を通したユーフェミアは、その途中で手を止めた。大きく見開かれた瞳がユーフェミアの驚愕を表していたのだが、それは徐々に陰りのあるものへと変化する。再び手を動かしそのメールをチェックする表情は、虚ろとも言えた。
 読み終わって、暫しディスプレイを見つめたまま微動だにしない。
 ぽつりとつぶやかれた声が誰かに拾われることはなかった。

「ルルーシュが、帰ってくるのね……」



 孤児院の慰問は、滞りなく終わった。ブリタニアの第三皇女が訪れるような施設は、基本的に整備された場所だ。孤児院、といっても国が管理しているそこは子供が産まれない貴族や裕福な商人が引き取り手になったり、体面上で資金援助をしている。無論、それで救われる子供がいるのだから善行であることは間違いないが、一番手っ取り早いステータスの確保として援助しているパトロンも少なくないという事実は否めない。実際、こういう時にだけ顔を出し、ユーフェミアにアピールする貴族は少なくなかった。
 ただ子供たちに罪はなく、彼らは純粋にユーフェミアを慕っている。そんな子供たちと接する機会はユーフェミアにとって心温まる一時だ。
 ――が、今日はそれもユーフェミアの心を慰めるには至らなかった。
 始終、ユーフェミアは穏やかな笑顔で、貴族や子供たちに接していた。問題はなかったはずだ。実際、付き人の文官に文句を言われることはなかった。むしろいつもこうであれば、と褒められたくらいだ。
 しかしユーフェミアの第三皇女という肩書きばかりにしか興味のない彼らとは違う騎士のスザクは、ユーフェミアのことをよく理解していた。
「今日は何か、心あらずなご様子ではありませんでしたか…?」
 孤児院を後にした車の中、間隔を空けて隣に座ったスザクは、おもむろに聞いてきた。
 思わず目を見開いたユーフェミアは次第に苦笑いをこぼす。
「やはり、スザクには隠せませんね」
「何か気にかかることが?」
 騎士たるスザクにとて主の精神面まで介入する権利はない。ただ主に懸念すべき事柄があれば払拭するのが彼女に仕える者としての義務だとも思えたし、スザク当人がユーフェミアに余計な心痛を負って欲しくないという気持ちもある。彼女のことを主としてだけではなく、――友としても思うスザクは、ユーフェミアのらしくない様子を気にかけないわけにはいかなかった。そして、ユーフェミアもまた、スザクに隠し立てすることも、ましてや話しても詮無いこと、と思うことはない。むしろこの場合、彼はきっと他の誰よりも、ユーフェミアの理解者。
「……先ほど、ナナリーからメールがありました」
「ナナリーから?」
 ナナリー・ヴィ・ブリタニア皇女。皇位継承権は持たないけれど歴としたブリタニアの皇女であるにも関わらず、スザクは皇女を敬称ではなく親しみ溢れた呼び名で呼ぶ。ユーフェミアがそれを咎めることはない。
「はい。マリアンヌ様もご健勝とのことで」
「……そうですか。最近、めっきり話を聞かなかったから少し気になっていたんです」
「表舞台から身を引かれて暫く経っていますから。ただお姉様の話だと、相変わらず影響力のあるお方ですから名前が出ないだけで引っ張りだこのようですよ」
「相変わらずですね」
「はい」
 ユーフェミアもスザクも、彼の女性に対する憧憬はよく似ていた。今はもう滅多に会うこともなくなってしまったけれど、彼らにしてみても彼女の影響力は絶大だ。
 されど彼女は彼らにしてみたら手の届かない存在と言って等しく、ひいてはユーフェミアの機嫌を左右するほど身近な存在でもなかった。
 そのことをよく知るスザクは「それで?」と促した。
「ナナリーは何と?」
「………近い内に、本国に帰ってくる、と」
「え?」
 と、スザクが首を傾げたのはユーフェミアの言葉の真意が汲めなかった為。
 本国に帰る、という意味。
 一時的に、ならばそれこそ時折ナナリーは本国に帰ってきている。彼女は今、他国の学校に通っているが、1ヶ月に何度か本国での教育も受けている。そのたびにユーフェミアとは顔を合わせていたし、スザクとも幾度か会っていた。
 わざわざ帰国するとメールで報せる程のことでもない。ましてやユーフェミアが神妙になるわけもなく。
 つまり、ナナリーの言う『本国に帰る』とは、即ち、言葉のまま。
「……ひとりで?」
 スザクの問いにユーフェミアは緩く首を横に振る。
「マリアンヌ様と、………そしてルルーシュも一緒に、と」
 その答えに、ユーフェミアがどうして覇気がないのかスザクはあっさりと悟る。同時に、スザクもまた少しばかり動揺せずにはいられなかった。
「ルルーシュが……」
 そもそもナナリーとマリアンヌが他国に身を置いていたのは、ルルーシュがその国の統治を任された異母兄の補佐につく為だった。妹姫だけが帰国するなど、彼の家族の絆を考えると有り得ない。即ち妹姫が本国に帰るということはヴィ家が揃って帰国することを意味し、それは長子たるルルーシュのその国においての役目が終わったことを意味する。
 今や帝国宰相の片腕と囁かれているルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
 ユーフェミアの異母兄であり、スザクの友人であり、スザクをユーフェミアの騎士にした張本人でもある。
ユーフェミアにとってもスザクにとっても、近しい存在であった筈の人は、いつの間にか会うことに躊躇いを覚える相手になってしまっていた。
 否、スザクは今でもルルーシュを友人だと思っているしルルーシュもまた然り。スザク本人が個人的にルルーシュに対して含みを持つことはない。ならば何を戸惑うのかと言えば、主たるユーフェミアの気持ちと友人たるルルーシュの気持ち、その両方をスザクは知っている、ということか。
「……ユーフェミア殿下…」
 気遣うようにユーフェミアに声をかければ、ユーフェミアは心配するなと首を緩く振る。
「……大丈夫です、スザク。私もいつまでも悩んでばかりいるわけではありませんから」
 スザクは2人の気持ちを知っているが、明確に2人の間に何があったのかは知らない。ただ2人と接することで互いに互いを深く大事に想っている――ある種、スザクの入り込めない絆で――ことを、知らずにはいられなかった。それだけのことだ。
「ねぇ、スザク」
「はい」
 そこでユーフェミアは笑った。
 無理に作った笑顔でもなければ、かと言って少女の無邪気なものでもない。曖昧に胡乱に、掴み所なく。
 スザクはじわりと胸の内に微かに走った予感に、この時は明確に気付くことはできなかった。


「私の中にルルーシュを想う気持ちは残っているのでしょうか?」


 え? と反射的に首を傾げたスザクの答えをユーフェミアは必要としていなかったのか。
 何でもありません、忘れて下さい、と。
 そのたおやかな笑みの下で何を考えているのか、スザクにはわからなかった。――答えはとてもわかり易すぎるものだったとしても、今のスザクにはユーフェミアが今にも泣き出してしまいそうな顔をしながらも笑ってしまう気持ちがわからない。
 想うがあまり、という答えは出ない。


 初恋なんて優しいカタチは、とうに死んでいたのだ。








限りなく永久に近い別離
きな子/2008.08.10