「ユフィ姉様! スザクさんも、いらっしゃいませ!」
 花が咲くような、と喩えるに相応しさ。菫色の瞳とハニーブラウンの組み合わせは、彼女の母や兄のように他者を圧倒するような秀麗さではないけれど、清廉な印象を与える。見る者を惹きつけるという点で彼女は正にヴィ家の次子であったし、皇家の血を引いているというならば彼女が満面の笑みで出迎えた第三皇女とも遜色はない。ヴィ家の見目麗しい容姿は帝国内でも噂される程で。民衆の間では、主たる第五皇妃マリアンヌに対する憧憬は滅多なことでは表舞台に立つことがなくなった今でも根強い。
 彼らが権謀術数渦巻く皇室の中で異色だったのは、マリアンヌが生まれ持った血筋や権力ではなく、他者を魅了する力故。強者こそが力なりのブリタニア帝国において、本人の能力で確かな地位を築いているのがヴィ家の人々だった。
 まだ幼いといえる次子たるナナリーだったが、彼女もまた母や兄に倣って勉学に努めている。彼らの強みは何よりも柵がないことだった。彼らの人柄と能力に惚れ込んだ後見たる貴族が皇族に仕えることで得られる甘い蜜を目的とするわけもなく。皇族の中でも低い立場の彼らは醜いやっかみを受けることはあっても黙らせてしまえるだけの実力を持っている。
 それがユーフェミアはひどく羨ましく思えたことがあった。昔、遠回しにそのことをルルーシュに伝えたら、苦笑されてしまったけれど。――それがルルーシュを傷つけていたのかも知れないと思い至ったのは、最近になってのことだった。


「こんにちは、ナナリー。今日はお招き、ありがとう」
「いいえ、来て下さって嬉しいです。今お母様がケーキを焼いていますから、お天気もいいのでテラスでお茶は如何ですか?」
「マリアンヌ様のケーキ? 嬉しい、大好きだったの」
「ユフィ姉様のお好きな林檎のタルトですよ」
「まあ!」
 ぽん、と思わず手をせた手の平は自分の好みを覚えていてくれた喜びとその気遣いが嬉しくて。
 容姿の美しさは無論のこと、女性としての魅力溢れた、身も心も強いその人。何よりも自分たちを分け隔てなく接してくれる軽やかな笑みが好きで、まさに憧れの女性。久しく会っていなかったマリアンヌに会えることをユーフェミアは素直に喜んだ。
 案内されたテラスも昔よく訪れた場所だ。しばらくの間、主が不在だったにも関わらずよく手入れされている様子が窺える庭園。如何にこの宮の使用人が主を慕っているかが垣間見える。
 そして辿り着いた先には、既に用意されたテーブルセット。
 まだ主役のケーキはなかったが、客人が席に着いたことで控えていたメイドがそれぞれのカップに湯気の立ったお茶を注いだ。質の良い陶器に香りの良いお茶は、気分をよくさせるもの。――が、テーブルに用意されている数に、ユーフェミアは心の中で落胆を隠せなかった。否、最初に出迎えたのがナナリーだけだったことからも、察することはできていたのだ。それ以前に、招待されたその時から予測していたといってもよくて。
 声にも顔にも出したつもりはなかった。しかし何かを感じ取ったのか、ユーフェミアの向かいに座っていたナナリーは「すみません」と謝罪。
「本当は今日はお兄様も一緒の予定だったんです」
「え?」
 顔を上げて自分を見詰めるユーフェミアに、ナナリーは申し訳なさそうに微笑む。
「せっかく帰国したのに、お兄様ったらユフィ姉様にもスザクさんにもお会いしていないようだったので、それならユフィ姉様をご招待して一緒にお茶を、と思っていたのですが…急にお仕事が入ってしまって、3日程前からシュナイゼル兄様の所に泊まり込みなんです」
「……そう。ルルーシュ、忙しいのね……」
 落胆と、仄かな安堵。会いたかったのは正直な気持ち。けれど、あまりに久しぶり過ぎてどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。ナナリーに招待されてから暫くの間、むしろルルーシュが帰国すると聞いた時から、ずっとどんな顔をすればいいのか、何を話せばいいのか、気付けばそんなことばかり考えていた。
 ユーフェミアの隠し切れていない溜息を庇うように、口を挟んだのは隣に座っていたスザク。
「泊まり込みって……よくあることなの?」
 スザクの問いに、ナナリーは少し寂しそうに笑う。
「はい。以前はそうでもなかったのですが、本国に帰ってからはシュナイゼル兄様が正式にお父様の跡を継ぐと決まったばかりということもあって、今は特に忙しいみたいです」
 せっかく本国に身を落ち着かせたと思ったものの、本番はこれからといったもので。次期皇帝にと指名された第二皇子の、今や腹心の一人となったルルーシュはシュナイゼルの傍に控えていることが多い。
 特に外交関係を任されているルルーシュは本人が外国へ飛ぶことは稀であるが、交渉や接待で本宮か或いはシュナイゼルの宮で過ごすことになり、彼も出来る限り帰って来るようにはしているらしいが限度もある。
「無理をして体調を崩しても困りますから、シュナイゼル兄様にも気遣ってもらっているんです」
 特に自分の体には無頓着なルルーシュだから、彼の体調を看破してくれるシュナイゼルには感謝しているとナナリー。
 自分たちの知らないルルーシュ。宰相の傍に控えていると頭では理解していても、こう親しくしている実情を誰よりも詳しいナナリーの口から直接聞いたことに、どことなく苦い物が落ちるのは拙い嫉妬心からだろうか。
 スザクはちらりとユーフェミアの横顔を窺ったが、その表情から彼女の内情を察することはできなかった。


 マリアンヌの作ったタルトは絶品だった。流石、完璧主義を自負するだけあると言うべきか。と言っても、完璧主義の前に気分屋が立つ彼女は、自分の好きなこと以外は決してしない。
 今日もおそらくはただ気が向いて、菓子を振る舞ってくれたのだろうと。ユーフェミアより知り合った年月は浅いが、付き合いは深いスザクも珍しく相伴に預かれたマリアンヌの菓子には舌鼓を打った。
 そうしてティータイムを終えたユーフェミアとナナリーは、テラス側のソファーに座ってナナリーの留学時代のアルバムを捲っては昔話に花を咲かせている。今、スザクと共にテーブルに着いているのはマリアンヌだけだ。そういえばいつもはルルーシュや或いは上司たるロイドが間に入っての会話だったが、生きた伝説とまで云われているマリアンヌとこうして2人っきりになることは初めてのことだと今さらながらに些かの緊張を覚える。が、そんなスザクの身構えを察したマリアンヌは、年齢を感じさせない美貌で微笑んだ。
「色々と活躍しているようね、スザク。ラクシャータから聞いているわ」
「い、いえ、僕はただロイドさんの実験に付き合っているだけで…」
「ロイドの実験に付き合っているだけで十分な活躍振りだわ。第七世代の開発状況はどうなのかしら?」
「もう少しでプロトタイプは完成しそうです。ただまたロイドさんが色々と…付けたがっているようで……」
「その話はこの前、偶々ロイドに会って聞いたわ。遂にフロートシステムにまで手を出してるんですって?」
 …緊張はあったものの、所詮は同じ穴の狢だ。愉しそうに聞いてくるマリアンヌに、スザクは「そうみたいです」としか答えようはないが、スザクにとっても得意分野の為に幾分か気が楽だ。
 今やナイトメアフレームは現在の産業社会には欠かせない物となっている。元々福祉目的で開発されたフレームは、一時軍事需要の方に傾くかという懸念もあったが、ナイトメアフレームとしての発展後、表向きには産業や福祉活用が主要だ。ナイトメアフレーム開発の90%以上をブリタニア帝国が占拠していることによって、ブリタニアの許可なくして軍事利用は不可能でもあったが、それ以上に他国が第三世代を生産した時点でブリタニアは第七世代の開発に着手していることが大きな要因だった。圧倒的な技術力こそが抑止力になっており、現段階に置いてナイトメアフレームが他国への侵略道具として使用される動きはなかった。
 そしてブリタニアのナイトメアフレーム開発の最高峰機関では、既に第七世代相当の機体が完成されつつあった。
 操縦者たるデヴァイサーをも選ぶ機体に搭乗できるのは、現段階では数える程しか居ない。1人は、常にナイトメアフレームの先駆者に立つマリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。そして現正式デヴァイサーとして登録されている枢木スザク。今、マリアンヌはインド軍区の開発チームに籍を置いてブリタニア製とは一線を画するナイトメアフレーム開発に携わっている。これは数ヶ月前までシュナイゼルの側近として派遣されていたルルーシュも関与しており、ブリタニア公認の為に監視という名目を兼ねてのマリアンヌ登用だった。そこの責任者と因縁深い特派の主任ロイド・アスプルンドがマリアンヌの技術協力を得られなくなったことへの恨みも含め、目覚ましい速さで第七世代の開発に打ち込んでいるのは割と有名な話。
「汎用性も何も考えていない、ただの趣味の産物になりそうね」
「……フロートシステムに限れば、完成すれば役に立つとは思うんですけれど」
「そうねぇ。でもラクシャータも飛翔滑走翼を完成させつつあるし、今回は引き分けかしらね」
 ふふふ、と笑う女傑は純粋に技術力の躍進を楽しんでいるようで、その点に関してはスザクも同じだ。研究者とはまた違った意味で、新しい技術に真っ先に触れられる特権は中々の物だ。差詰め、新しい玩具を与えられた子供と何ら変わらないのだが、それはそれ。この数十年で世界の科学が凄まじい勢いで発展した現代は、間違いなく人材に恵まれた時代だった。
「そういえばカレンは元気にしていますか?」
「有り余るくらい元気よ。あなたの活躍が耳に届くたびに悔しそうな顔をしているわね」
「ああ…変わらないみたいですね」
 同郷の馴染みを思い出して、苦笑い。しかし変わらない様子に込み上げてくるのは、くすぐったい嬉しさ。ブリタニア人の父親を持つ彼女は家庭の事情あってブリタニアをあまり好んではいないので、本国での研究には参加していない。ただナイトメアフレームの操縦には長けた能力があり、本人も積極的で今はブリタニアの監視とはいえインド軍区でのパイロットとして名を上げている。また同じ女性ながら第一人者として名を馳せているマリアンヌのことはブリタニア皇妃とはいえ敬愛しており、息子ルルーシュともうまくやっているらしい。(本人にしてみればその表現は心外だろうが)スザクは単純に『ライバル』として目の敵にされているのだが、さばさばとした彼女の気質はスザクにとっても好ましいものだ。
 そんな共通話題で他愛のない話をしていたスザクとマリアンヌだったが、丁度話の節目、会話が途切れたその時だった。――かたり、と物音。それはとても小さな音で、普通ならば気付かない。現にユーフェミアとナナリーは気付いた様子はなかったし、例え気付いたところで宮内のメイドか誰かが扉を開閉しただけの音でしかなく気にも留めないだろう。が、基本的に軍人。更には訓練された上に傑出した資質を持ち合わせている彼らは敏感に音を聞き分けて方や懐疑、方や確信。
 確かめるようにマリアンヌの顔を咄嗟に注視したスザクに、マリアンヌは苦笑。その表情で、スザクもまた確信。
「……仕方のない子ね」
「やはり、彼の部屋でしたか…」
 上階、右奥。音のした方向は、スザクも以前招かれたことのある部屋。
 常日頃から身の回りのことは自分自身で行うよう躾けられていることに加え、今や帝国宰相の右腕としての役割を担う『彼』の部屋には、いくら信頼の置ける使用人も入りはしない。故に、その部屋の扉が開かれたと言うことは。
「……今日、ユフィが来ていることは…」
「知っている筈ね。そうでなくとも、帰ってくれば分かることだわ」
 それでもこちらに顔も出さないというのは。
「大方、必要な資料でも取りに帰ってきたのでしょう。どうせ直ぐに戻るならと顔を合わせないで居るつもりなんじゃないかしら」
「…そんなに会いたくない様子なのですか?」
「会いたくないと言うより、会ってもどうしたらいいのかわからないんじゃないかしら。ナナリーにユフィが来ると聞かされた日も、それはもう見事に情けない顔をしていたわね」
「………」
 その表情を、スザクはいとも簡単に想像することができた。多分、以前見たことある顔だ。『彼女』のことを口にする時の『彼』の表情は、いつも――
「……マリアンヌ様、失礼ですが少し席を外してもよろしいでしょうか?」
「そうね。私も“ちょうど”あなたに見せたい本があるのよ」
 くすり、と浮かべた美貌の笑み。
 平素では、彼女からはあまり『母親』としての雰囲気を伺うことはない。それは彼女の美しすぎる容姿が二児の母親などと思わせないものがあったし、彼女自身の気質もどちらかというと奔放な少女のような物だからだ。しかし時折、彼女は『彼』の母で、『彼ら』の母なのだとふと思わせる表情をする。今回のこれも、また。
「ユフィ、スザクを少し借りてもいい?」
「え?」
 ナナリーとの歓談をしていたユーフェミアは、突然割入ったマリアンヌの申し出に顔を上げた。横ではスザクが苦笑を浮かべていて、自分たちでは理解のできない話に盛り上がっていた2人だからここにユーフェミアが口を挟む権利はない。
「スザクに見せたい本があるのよ」
「あ、もちろん構いません、マリアンヌ様」
「ごめんなさいね。直ぐに戻るわ」
 そう言ってマリアンヌは席を立ち、スザクも後に続く。一度だけユーフェミアとナナリーに叩頭をし、サロンを後にした。


「ルルーシュの部屋はどこか知っているわね?」
「はい」
 マリアンヌはそれだけを確認したら「それじゃあ」とスザクに背を向ける。
「あの子の思い込みの激しさと猪突猛進なところは、シャルルの悪いところをそっくりそのまま受け継いだかのようね。一度くらい本気で殴ってみた方がいいんじゃないかしら」
「……為になるアドバイスをありがとうございます」
 母親、としてはなんとも大胆な助言を残し、そのまま去るマリアンヌの背中を見送って。スザクはくるりと踵を返し、小走りで記憶の方向へと向かった。
 あまり大きくもないアリエス宮は、スザクの脚力であれば数分しないで端から端まで辿り着いてしまう。が、擦れ違い様、ユーフェミアの騎士でありルルーシュとナナリーの友人でもあるスザクには使用人が丁寧な礼をしてくれるので、少しスピードを落としてスザクも軽く会釈をした。ブリタニアの最高峰、皇家に連なる宮に置いて、外人であるスザクに対してここまで丁寧な対応をしてくれる宮は恐らくアリエス離宮を置いて他にはない。
 思えば、ルルーシュもそうだった。
 否、ルルーシュが主であり、彼の母親マリアンヌがこのアリエス宮の主人であるからこそ、此処はそうなのだろう。
 スザクがユーフェミアの騎士になる以前…ブリタニア軍に籍を置くよりも前。
 母国で初めて会ったブリタニアの皇子は、スザクにとって初めての友人で、初めて力になりたいと思った存在だった。
「………ルルーシュ」
 こんこん、と扉を叩いてから、静かに部屋に呼びかける。返事はない。が、人の気配が反応した空気がスザクには伝わる。
「ルルーシュ、いるんだろう?」
 もう一度呼びかければ、嘆息した音が扉の向こうから聞こえる。
 暫しの沈黙の後、「……入れ」と懐かしい声が聞こえた。
 ぎぃ、と木が軋む懐古な音。カーテンは閉められていて、薄暗い室内。影になっている人物は一瞥スザクに視線を向け、直ぐに「閉めろ」と言い放った。相変わらずだなあと内心で苦笑しながららも、ここは大人しく従う。
「……久しぶり、かな?」
「ああ」
 素っ気ないくらいの返事だけ。再び書斎に視線を戻したルルーシュは、器用なまでにいくつもの資料を片手で支え、またも新しい本を取り出してはぱらぱらとページを捲って見せた。そのスザクを相手にしようとしない態度に、どことなく奇妙な懐かしさを覚える。
 いつも彼は、スザクよりも本を相手にする。幼い頃はそれが悔しくて、スザクはいつも彼の興味の対象を取り上げて自分へと注意を向けさせていた。
 思い出に口元でだけ浮かべた笑みを持って、スザクはルルーシュに近付く。元々薄暗かったところにスザクの影が被り、それを不快に思ったルルーシュが顔を上げるよりも前に、スザクはルルーシュの興味の対象だった本を取り上げる。ルルーシュもルルーシュで、わかっていたのだろう。ちらりと一瞥したら、嘆息。返せ、と一言、取り上げられた本を取り返し、そのまま持っていた資料を脇の机へと置いた。そのまま椅子に腰掛け、長い脚を組んでは細い指を顎にかける。わざわざ見栄え良い恰好をスザクに見せる必要は全くないのだが、その姿にまた笑えてしまった。
「……何だ」
「いや? 変わってないなと思って」
「……お前は随分変わったな。第3皇女の騎士としては節度あるんだろうが、その口調も俺から見れば嫌味なものに聞こえる」
「酷いなあ。そもそも君の指示じゃないか」
「わかってる」
 はあ、と再び嘆息。それでも慣れないものは慣れないんだ、と本当に居心地悪そうに言うから、またもスザクは笑う。これはこれで楽しいかも知れない、と思ってみたら、見透かされたように睨まれた。が、生憎とルルーシュの強面も、今のスザクには通用しない。笑顔のまま、スザクは切り出す。
「で? 時間もないから単刀直入に言うけど、どういうつもり? ルルーシュ」
 笑顔のまま、だ。ちっ、とルルーシュの舌打ち。これだから質が悪くなった、との悪態は褒め言葉として受け取っておこう。
「知っているとは思うけど、僕はユーフェミア殿下の騎士だ」
「ああ、そうだな」
「その僕がここに居るってことは、ユーフェミア殿下がいらしてるってことなんだけど?」
「ああ、そうだな」
「…ユーフェミア殿下は、君に会いたがっていると思うんだけど?」
 揺れた眉間は一瞬。
「それは、どうだろうな」
 声に動揺はない。平素を装うルルーシュをスザクは恨めしく思う。
「……君は卑怯だ」
 低い声の叱責に、ルルーシュは瞳を眇める。そうして顎から細い指を解き、ゆらりとスザクを見上げた表情は、ひどく凪いでいた。少なくとも大切な何かを削ぎ落としていることは確かで。
「そうだな」
 と静かな調子で返されて、今度はスザクが言葉に詰まる。
 知っている。知っていた。ルルーシュはユーフェミアのことがとても大切で、大事で、おそらく誰よりも彼女のことを愛している。ナナリーやマリアンヌのことを想うのとはまた違う。コーネリアがユーフェミアのことを大事にするまともまた違う。1人の人間として、1人の男として、彼女のことを誰よりも慈しみ慕っていた。
 触れることさえ、躊躇う程に。
「……君は、ずっとこのままで居る気?」
 だからスザクはルルーシュのことを責められない。ルルーシュの頼みを拒めなかった自分は、所詮、共犯者でしかない。否、ルルーシュに“従って”しまった自分は、おそらくもっと質が悪い。
「……このままで、居られるとは思っては居ないさ」
「ユフィを、解放してやる気はあるのかい?」
 紫の双眸に影が差す。
「……その手段を、考えているところだ」
 その答えに、スザクは視界が眩む思いがした。



 サロンにスザクが戻るのに、そう時間はかからなかった。
 とは言っても陽は傾き始めていたので、ユーフェミアはスザクが戻ってきたことで帰り支度を始めた。ナナリーは兄が帰ってくることを期待していたようで、もう少しだけと引き留めたが、それはユーフェミアが断った。また機会はあると言えば、ナナリーは少しだけ寂しそうな笑みで、そうですねと首肯。その表情を見て、彼女もまた何かを察しているのだと気付くことは容易だった。
「…それでは、ナナリー。今日はどうもありがとう。マリアンヌ様にもご馳走様でしたと」
「はい。また是非いらして下さい、ユフィ姉様、スザクさん」
「ありがとう、ナナリー。…あ、マリアンヌ様に、あの助言、考えておきますって伝えておいてもらえるかな?」
 最後に付け加えられたスザクの頼みに少しばかり姉妹は首を傾げたけれど、直ぐにナナリーは「はい、伝えておきます」と笑顔で応対してくれた。
 よろしく、とスザクが念を押すようになってしまったのは、自分の頭の中で反芻した為だ。
 そうしてナナリーに別れを告げ、アリエス宮を後にしようとして。ふと、スザクの後ろを歩いていたユーフェミアが足を止めた。直ぐに気付いたスザクだったが、その視線の先に覚えがあった為に敢えて声を掛けることはしなかった。
 アリエス宮の二階、東側の部屋。
 カーテンで覆われた部屋は暗く、静まり返っている。
 寸刻、じつと見詰めているユーフェミアの表情を見ることは叶わない。ただ、美しい庭園を向こうに一点だけを見詰め微動だにしない背は、ぽっかりと切り取られた絵画のようで、それはどこか寂しい印象を与える。
 ――そんな姿を見たくなかったのは自分か、見せたくなかったのは彼にか、それともそんな姿で居て欲しくなかったのは彼女か。
「……ユーフェミア殿下」
「………」
 声を掛けられたユーフェミアは、直ぐには反応はしなかった。けれど未練を断ち切るように、視線を外した。
「すみません。…帰りましょうか」
 口元に浮かぶ笑みと睫毛の下に伏せられた瞳から、彼女の真意はいつだって不透明だった。
 緩やかな足取りでスザクの脇を通り過ぎたユーフェミアの背中から、スザクは彼女が先程まで見据えていた一点へと視線を移す。
 部屋は暗い。人の気配は殆ど感じられない。それが卑怯だとまたスザクは思って、ユーフェミアの後を追った。




 心が、どこまでも遠かった。








→むなしき遊戯
きな子/2009.01.22