ラストダンスは終わらない
ところでブリタニア皇族といっても、それはもう大変な数を抱えている。
皇妃が100人居るという噂ならば(嘘か誠か定かではない。が、そんな噂が立つ程に召されているのが事実である)子供の数も皇帝の実子かどうか怪しい者も含めてその人数は膨大といっても多分に誇張表現ではないだろう。
――して。
いくらブリタニア最上位と言えど、中には埋もれる者も数知れず。顔も名前も周知されている人間なんて、実のところほんの一握りでしかない。
人は不平等。そんな皇帝のお言葉は、もちろん血を分けた実子にも適用されるわけで、皇位を継承できる順位が11番目だったり87番目の子供たちは、よほどのことがなければ注視されようもない存在だ。その昔は彼らの母親が大層有名だった為に多少なりと注目されることもあったけれど、歴代でも指折りに入る皇妃が病気で倒れてからは、次第に忘れられる存在であった。
但し、顔も名前も周知されているほんの一握りの皇族――つまり、上位皇位継承者たち(しかも有力株と噂されている)――に目をかけられ、しかもその卓越した知略能力やら素直な性格やら母親譲りのぶっちゃけ容姿やら云々によって重宝がられ、あまつさえ勿体ないからという理由で囲い隠していたり否心ない誹謗中傷から守るという大層な使命があったりなかったり。
とにもかくにも、未来のブリタニア皇帝陛下と現在のところ最有力候補である第二皇子シュナイゼルが故マリアンヌ皇妃の兄妹を匿っている、という噂が再び浮上したのは、割合最近の話である。
それは過日の出来事。
シュナイゼル主催の夜会に招かれた、一人の麗しき女性。
黒いドレスに身を包み、漆黒の髪を高く結い上げ、白い肌に紅いルージュ。燦々と輝く、両の眼に填められた紫水晶。
いくらか年を召した貴族は、まるで亡き皇妃の生き写しではないかと我が目を疑ったそうだ。シュナイゼルの手を取り、踊る姿はまさに数十年前、現皇帝陛下の手を取って華麗に舞った騎士姫の再来。――但し、現れた彼女のステップは随分とゆったりとしたもので、始終シュナイゼルにリードされていたけれども。
思い出すのは、数々の英雄譚を築き上げた故マリアンヌ皇妃。
シュナイゼルに引き続き、何故か第二皇女コーネリアと踊った彼女は、そのまま騎士らしき青年に付き添われて鮮やかな笑みだけを残してその場を立ち去った。彼女がいなくなってからも彼女が見せつけた何者をも魅了するかのような存在感の余韻に浸っていた場だったけれど、招かれた客のひとりがシュナイゼルに彼女はマリアンヌ皇妃の遺児か否かを尋ねた。しかしシュナイゼルは然も愉快と言わんばかりの笑み(一部の人間だけが察せられるものだ。殆どの人間にはただの美丈夫の微笑みにしか見えない)で誤魔化すばかりで、肯も否も明かさなかった。識者か若しくは過去の幼い兄妹を一目でも見たことがある者、親しく覚えている者は、彼女を一目見れば違和感に気付いたかも知れないが、ここでそれに言及する者は居なかった。
そうして噂だけが一人歩きをする。
故マリアンヌ皇妃の遺児は、大層美しく成長した。母親の端麗な容姿を見事なまでに引き継いだ『彼女』は、いずれブリタニアの中で素晴らしき開花をすることだろう、と。
「……確かにナナリーは今は可憐といった方がしっくりくるだろうが、いずれ母さんにも負けず劣らずの美人に成長することだろう」
それはとても楽しみだ。
それに母親の身体能力を引き継いだのはおそらく彼女の方で、今はまだ皇族として表立つには幼いが、世に出れば皇女という立場ながら見事な躍進をすることだろう。それは間違いない。
「ナナリーに目を付けたことは褒めてやろう。あの子の将来性は計り知れないからな。その点だけは評価してやってもいい。……但しナナリーに見合うだけの男でなければ会わせてやらんし、見合いなど論外だ!」
ばん! と、机に叩き付けた拳。
傍らで見ていた青年――スザクは、随分とご立腹だなあと横目で観察。ついでに溜息吐きたいのを我慢。ここでこれ見よがしに溜息なんてものを吐いてみた日には、矛先が自分に向かってきてしまう。それはそれで美味しいのだけれど(だって怒った顔もそれはとても魅力的なのだ)せっかくいつぞやの望みが思わぬ形で叶ったというのに、御預けを頂きたいわけではないのでこの場はとにもかくにも平穏に済ませてしまいたいのが正直。
「大体、ナナリーのことを何も知らないで何が結婚を前提にお付き合いしてもらいたいだッ! ふざけるなっ!!」
「まあ、貴族だし」
「はっ、お貴族様々だな! ナナリーの結婚相手を俺が決めるなんてことは言うつもりはないが、余計な虫が付かないようにするのは兄としての当然の責務だ」
「あ、結婚相手、決める気はないんだ?」
揚げ足を取ってみたら、なんとも苦心の表情。眉を顰めてまるで哀愁を帯びたるように口を開く。
「くっ……ナナリーが、決めた相手なら文句は言えないじゃないか…! 俺はあの子の人を見る目は信頼しているんだ。…本当はスザク、お前が相手ならと思ったことも…」
「はいはい、もう耳にタコ。ナナリーのことは大好きだけど、そういう関係にはなれないからね。それとも君は僕がナナリーを抱いてもいいって言うの?」
「………お前みたいな男は危険すぎてナナリーはやれない」
そういう言い方をし始めたのは、確か彼本人を抱いた後からだろうかというのは蛇足。ひどいな優しく抱いてるつもりなのに、と呟いた日にはしばらく相手をしてもらえなかったので余計なことは言わないに越したことはない。
で? と、スザクは改めて座り心地抜群のソファに腕と脚を組んで絵になっている相手に尋ねる。
「顔も知らない…おそらくは君のことを『ナナリー』だと勘違いしている相手に、『ナナリー』と名乗って、何をするつもり? ――ルルーシュ」
スザクは、彼…否、この場合は『彼女』と言うべきだろうか。この姿を見るのは、2回目だ。
それも以前は夜会用のドレスを着ていたし、髪も複雑に結ってあった。今日の姿はと言えば、先日のドレスとは違って若葉色の胸元にラッフル飾りが入ったシフォンワンピース
。肩から腕にはショールを掛け、膝下は素足だ。多少なりとヒールはあるが、以前のパーティ用の靴と比べると今日は随分と楽そうなミュールを履いている。
髪は下ろしていた。真っ直ぐな艶黒の髪が腰まで落ちている。但し毛先は跳ねていて、本来の癖を見事に再現している。
どこからどう見ても、大人しくしていれば完璧な淑女だった。不機嫌に眇められた目、不遜に組まれた腕と脚、滲み出る不快オーラさえ正せば、そこらの貴族や皇族に劣らない、と言っても本人がまさに歴とした皇族なのだから、深窓の姫君と言っても誰も疑いやしないだろう。
この容姿が今回の事の始まりだった。過日のシュナイゼル主催の夜会に招かれた貴族の息子が突如現れた姫君に一目見て恋に落ちた。噂では、彼女はマリアンヌの遺児であり、シュナイゼルが保護しているのだという。それを突き止めた貴族の息子は、熱心にシュナイゼルに書状を送って頼み込んだそうだ。マリアンヌ皇妃の遺した『姫君』――ナナリー・ヴィ・ブリタニア皇女殿下と、是非会わせて欲しい、と。貴族の皇族の姫君に対する申し出はつまり見合いと等しく、シュナイゼルはどうするかとルルーシュに打診した。男がナナリーとルルーシュを取り違えていることは明白。しかも男が熱心に見合いを申し込んでいるのは、残念ながら皇女ではなく皇子だ。適当に言いくるめてしまおうかと言った異母兄に、しかしルルーシュは「ならば俺が会いましょう」と応えた。
どういうつもりか――。
そして『彼女』は傍らの騎士に不敵に笑う。これはこれで別の魅力があり、思わずどきりと跳ねた心臓は隠しておく。
「良い機会だとは思わないかスザク。これから先、こうしてナナリーに婚姻を申し込んでくる貴族共は増える一方だろう。増してナナリーが衆目に晒されるようになった日には、どれだけ多くの虫がつくかわかったものではない」
自慢げにそう語られて、「うん、君ってそうだよね」とスザクは懸命にも口にはしない。うんうんとここは機械的にでも頷いておくのが吉。
「例えばそう言った男共が、果たしてナナリーを前にした時、どんな態度を取るのか…知っておくにこしたことはないと思わないか?」
今、ナナリーの容姿は殆ど知られていない。ならば外面の情報だけで婚姻を申し込んでくるような愚かな男が、果たして『ナナリー』を前にした時、どんな態度に出るのか…例えば不埒な態度に出ようものならば、そんなことは断固許せるものではなく。いわゆる、様子見だ、と『彼女』はさもありなんと言わんばかりだ。
スザクにしてみればまったきの無意味にしか思えないのだが、それが『彼』なのだ。ルルーシュなのだ。仕方ない。
スザク然り、容認(むしろ喜んでいた)したナナリー然り、嬉々と再び飾り立てたユーフェミア然り、後押ししたシュナイゼルにコーネリアに然り。
これがルルーシュなのだ。仕方がない。そしてルルーシュ故に、再びこの姿を拝めたのだから、何の文句がありましょうか。
果たしてそんなことを思われているなんて全く想像もしていないルルーシュは(ルルーシュにしてみたら、これはナナリーの兄として当然果たすべき責務なのだ)スザクや兄姉、そして妹たちの反応に割と満足していた。
「ところでルルーシュ。君って背、いくつだっけ?」
「178cmだ」
「ナナリーって14歳だよね?」
「女性の身長は14歳で成人女性とほぼ同じ数値になるそうだ。母さんも背は高かったし、問題ない」
「脚の毛、剃ったの?」
「………そもそも脚を晒す必要があるのか俺には不明なんだが、やるならば徹底的にやらないとばれるとシュナイゼル兄上に言われて……」
本当、こういう時ばかりいい仕事をする第二皇子。
「胸の詰め物って」
「聞くな。そして触るな揉むな!」
「…うん、あんまり触り心地よくないね」
残念、な、声音が出てしまっていたのだろうか。思わずギッとルルーシュに睨まれたスザクは、しまった、ごめん、と謝ったものの、いちいち反応してくれたルルーシュが愛おしくなってしまった。それよりも放れろと言われ、スザクは流石にこれはマズイだろうと思う。まさか婚姻を申し込んだ相手を待っている間に、兄の騎士が妹姫を襲っていたなんて醜聞が立った日にはいろんな人にスザクが殺される。慌てて乗り上げていたソファから離れ、スザクはルルーシュの横に立つ。そのタイミングを見計らったように、いよいよ客間の扉がノックされた。
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