メイドに促され入ってきた男は、ひどく凡庸な顔つきだった。…と、言うのは、些か失礼だったかも知れない。が、常にルルーシュやシュナイゼル、または同期のジノのように、いわゆる美形に囲まれているスザクだ。というか、スザク本人もそりゃもう女性の人気は高い。美意識を持っているつもりはないが、基本レベルが高い。それはスザクに限らずルルーシュも同じ事が言えて、男が入ってきた瞬間にルルーシュはスザクしか気付かない程度に眉を顰めた。(因みにいつの間にか組んでいた脚は綺麗に並び、手は膝上に置かれていた)どうやら容姿の点でも不合格確定らしい。彼の場合は人相があまり良くないというのも大きいかも知れない。人の顔は性格が出るものだ。
「初めまして、ナナリー様。この度はお初にお目にかかれ、とても光栄です」
「そう仰って頂けて私の方こそ光栄です」
にこり、ナナリー様と呼びかけられたルルーシュは笑う。そんな顔、見せなくても良いのに勿体ない、とはスザクの心中。するとそんな不穏を察したのか(貴族は空気を察することには基本長けているものだ)男はスザクの存在に目を留めた。それもそうだろう。折角の見合いの場に、年頃の男が居れば気にもなる。そして男の視線に気付いたルルーシュは、「…ああ」とまた微笑んだ。
「彼は兄の騎士、枢木スザクです。お恥ずかしながら私はまだ騎士を持っていないので、お借りしたのです」
ああ、そういう設定なのか。と、スザクは男に軽く会釈をする。これはボロを出さないようにも黙っていた方が良さそうだなと思ったのだが、男はさして気にした風でもなく、スザクには一瞥しただけでまたルルーシュに向き合った。
スザクがむかっとしたのは、別に自分が無視されたからではない。…男が、既にルルーシュに落ちていたのが、一目で分かったからだ。入った瞬間から、男はルルーシュに釘付けだった。確かに夜会で一目惚れをしたと言っていたのだから、そんな相手がこんな目の前、至近距離で、会話できようものならば、傍にいた騎士(それも想い人の兄の騎士だ)なんざどうでもいいに違いない。大変、気に食わない。
「ああ、そういえばナナリー様には兄君もいらっしゃったのですね。確かマリアンヌ皇妃は二人の殿下をお産みになったと」
「はい」
ルルーシュの向かい側に座った男は、これ見よがしにアピールをしている。マリアンヌが二人の子どもを産んだことも誰かに聞くか調べるかでもしないと、この年代の人間は知らないだろう。そもそも『閃光のマリアンヌ』の存在すら、知っていたかどうか怪しいものだ。けれどそれをきちんと知った上で来訪することは当然と言えば当然なのだが、男はどこか鼻が高そうな面持ちで語る。
「しかし兄君の方は私とも近いお年なのでしょう? そろそろご活躍などを耳にしそうなものですが…」
その一言には、プライドの高い兄上当人も些かむかっとしたらしい。横目で頭部を見下ろしていたスザクはルルーシュがピクリと微動したのを見逃さなかった。
異母兄の策略とか、当人の思惑とか、皇帝の我が侭とか、諸々事情があって、現在のところ第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの名は世間に知られていない。しかし知る人は知っていて、帝国宰相の補佐だとか皇帝のお守りだとか実は結構帝国の為に扱き使われている。というのに、そりゃ公表してないしこっそりやっているだけだから貴族と言えどボンクラ息子の耳にその名前が知られていないのは当然かもしれないけれど、まるで能無しのように言われるのは癪に触る。
スザクには見えていないけれど、ルルーシュはそれはもう華やぐ笑顔を作って話し出した。
「…ええ、兄はあまり表には出ていないので、ご存知ではないのも無理かも知れません。けれど時々シュナイゼルお兄様やお父様のお手伝いをしていらっしゃいますし、シュナイゼルお兄様とはチェスも良い勝負なのです」
シュナイゼルのチェスの腕前は帝国が知るところ。ルルーシュ…元、『ナナリー』の言葉に、男は「それは…」と感心したようだ。それに些かルルーシュは気分を良くしたらしい。
ところでシュナイゼルや皇帝陛下がこの場にいたら喜びそうだなあとスザクは思う。ルルーシュの口から「シュナイゼルお兄様」や「お父様」なんてしおらしい言葉遣い、滅多にというか皆無に聞かれるものではない。ああでもシュナイゼルあたり、この部屋に盗聴器か監視カメラでも備えているかも知れない。しまった、さっき、ルルーシュの胸揉んじゃったなあと思いながら、スザクは聞こえてくるルルーシュの言葉に目を瞠る。
「それにお兄様はとても力強いのです。男らしさも頼もしく、私をいつも守ってくれるんです」
(…………こら、待て、ルルーシュ)
声音から察するに、ルルーシュは今はとてもにこやかな笑みを堪えているだろう。
相手の男はその笑顔は嬉しいのだろう、しかし語る内容は些か詰まらないだろう。兄とは言え、一目惚れした相手が別の男を褒め称えているのだ。けれど相手は『彼女』の実兄だ。ここは我慢するしかなく、ご機嫌取りが優先。スザクから見る男もまた余裕そうな笑みを堪えてる。
「ナナリー様は兄君が大切なようで…」
勿論、ナナリー当人がこの場にいたならば、心の底からイエスと答えるだろう。ルルーシュがナナリーを溺愛しているように、ナナリーもまたルルーシュをいたく慕っている。幼い頃、たった2人になった兄妹だ。その絆は大変深く、スザクだって未だに妬いてしまうくらいの睦まじさだ。
だからナナリーがルルーシュを褒め称えることは至って間違っていないし、本人ならばもっと詳細に語っていてもおかしくはない。おかしくはないのだけれど、若干、否、かなり、事実と相違あることをルルーシュは口にしている。ルルーシュ本人がどう思っているかは知らないが、ナナリーはルルーシュのことを力強く、男らしさによって頼もしい、とは、おそらく思っていないだろう。それはどちらかというと、スザクの役目だ。
理想と現実の壁は、高い。
が。
「はい。大好きです」
――ナナリーならば、愛していますと答えただろうな、とスザクは思う。
好きでも何でもない男を前に、彼女ならば一刀両断だろう。稚い少女に見せて、それくらいの気概をナナリーが持っていることをスザクは知っている。
しかしルルーシュはとろけるような笑顔で、多分、それを口にした。
対面側に座っていた男の顔が、真っ赤になった。口が開いて塞がる様子がない。
ルルーシュは時折、とてつもなく甘い表情を見せる。それは大半が彼の愛する妹のことを口にした時だ。今だって、ナナリーならば自分のことを「大好き」だと言ってくれるに違いないと思って出た言葉だろう。むしろ彼自身の言葉かも知れない。
実妹のこととなると馬鹿正直なルルーシュのことだ。またこうして、スザクにとって余計な敵を増やしていく。
但し、今回に限って言えば、救いは。
「ナッ、ナナリー様ッ!!」
男は立ち上がった。ルルーシュはきょとんとしている。
間を挟むテーブルは広くない。置かれたティーカップの元にあったルルーシュの手を、男は身を乗り出して握る。鼻息が荒い。目が爛々と輝いている。彼の中でこれはもう大恋愛に発展していることだろう。そんな表情だ。まさに運命の相手! 僕はこの人が欲しい! 神様ありがとう! 僕とこの人を引き合わせてくれてありがとう! ――それは、過去、スザクの身にも覚えがあるものだ。
「私と結婚してください!!」
いつの間にか両の手を握られていた。その手は汗ばんでいる。気持ちが悪い。触るな。
「……スザク!」
――どうやら我慢の限界が訪れたらしい。
人に命令するのに慣れた声音は、これまでのものとは色が違っている。瞬時に悟ったスザクは「イエス、マイロード」と応え、ルルーシュの腕を掴む男の手首を握った。片手だけを握られた男は、咄嗟に険しくスザクを睨んだが、その眉は直ぐに苦痛のものに変わる。ルルーシュの手を掴んでいた力は急速に失われ、その瞬間にルルーシュは男の手を払った。確認したスザクは男の腕を放す。男の手首は赤くなっていた。
「ッ?!」
男は困惑していた。何がどうして、いきなりこんなことになったのかわからない表情だ。どうしてあんなにも幸せそうな表情を向けてくれていた彼女がいきなりこんなにも熱り立ってしまったのか。何が悪かったのだろうか。何が気に障ったのか。そして傍らの兄の騎士という青年は、何故こんなにも自分に殺気に似たものを向けているのだろうか。何が何だかわからない。混乱するばかりの男に、ルルーシュは言い放つ。
「お前はナナリーの何を知っている!」
「……は?」
「何を知って、何を思って、あの子のどこが好きで、結婚しようと思った!?」
男は狼狽する。
「皇女というステータスか? お前はナナリーを幸せに出来るのか? する気があるのか!」
矢継ぎ早の質問に男が答えられるわけがない。どうして『ナナリー』当人が、『ナナリー』のことを語るのか。
呆然とする男に、『彼女』は更なる落胆を深めたように男から視線を外す。
「あの子の意志を聞こうともしない。それ以前に自分がどういう人間かも語らない。それで結婚したいだと? ふざけるな!」
皇族であれば、婚姻は強制を伴うこともある。けれどルルーシュは、決してナナリーにそんなことをさせたくはなかった。ナナリーが大切だと想う相手と、ナナリーを大切にする相手の想いが重なり合えば、それはもうルルーシュの割って入る所ではないという自覚はある。
彼女が望むならば、彼女の幸せを支えてあげたいとルルーシュは思っている。
されど今回のように、何も自分のことも語らず、ましてやナナリーの気持ちも慮ろうともしない。勝手に一人で盛り上がって、それでいてルルーシュの大事なナナリーを自分の都合でだけ振り回そうとする。そんなこと、断固として許せることではなかった。
「俺は大事な妹を貴様のような無責任な男になんぞにやらんからなっ!!」
言い吐いてルルーシュは去り、スザクはその後を追った。
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