あどけなく眠る幼子の額を柔らかく撫でた。
起きたらこの愛らしい子どもはいなくなってしまう。
それがわかっているからこそ、眠ってしまいたくはなくて。いつまでも幼い彼を見ていたいと…まだ何もその身に辛いことが降りかかっていない、彼が幸せであったこの時の姿を見ていたいと。……だけれど、それももう叶わないのだとわかっていた。
泡沫の夢のように。
抗えない眠気に、いつの間にかスザクもまた身を委ねていた。
初恋ラプソディア6
(………あ、さ)
窓から入ってくる朝日で自然と目が醒めた。
ふとベッドの脇を見たが、誰もいない。
言いようの知れない寂寥感を覚えたが、スザクはそのまま起き上がって学校へ行く準備を始める。
(……昨日、無理に休ませてもらっちゃったからな…、今日は早めに軍の方に顔を出さないと)
それでも学校には行かなければならなかった。
会う、為に。
(会いに行こう)
もう彼は帰っているはずだ。確信があった。
まだ学園内は早い時刻ともあって、朝練に取り組む学生すら殆ど見受けられない。朝の冷えた空気に晒されながらも、スザクはマナーハウスへと向かう。
普段はオープンとなっているが、流石にこの時間帯だ。扉はしっかりと鍵がかけられている。
早くから押しかけてしまったことを僅かながら申し訳なく思った。が、窓から室内の明かりが灯っていることも確認できたので、スザクは呼び鈴を鳴らす。そうすれば、暫くの沈黙の後、扉からは昨日の電話に出てくれた女性が現れた。
「スザク様。おはようございます」
深々とお辞儀をする彼女に、スザクもまたぴしっと会釈をする。
「咲世子さん、おはようございます。あの、ルルーシュは…」
「あ、はい。その、ルルーシュ様はまだ帰っておられ……」
ません、と。咲世子が続けようとしたその時、階上から声がする。
よく響く、聞き慣れた声だ。
「ごめん、咲世子さん。俺なら戻っているよ」
「ルルーシュ!」
「ルルーシュ様?」
彼も既に制服を着ていた。
いつの間に帰ってきたのかと驚く咲世子に(それもその筈、そもそもいつ出ていったのかも定かではないのだ)ルルーシュは「昨日はすみませんでした」と謝罪しながら、ナナリーは?と普段と一切変わらない調子で妹の様子を尋ねた。
「ナナリー様なら食堂の方で朝ご飯を食べておられます。…スザク様もどうぞ」
来客であるスザクには目もくれず。
直ぐさま食堂へと向かってしまったルルーシュに、スザクは置いてきぼりを食らう。と言っても、彼がナナリーを最優先にするのはわかり切ったことだ。咲世子もそれは承知しており、スザクは彼女に促されたことでルルーシュの後を追うこととなる。
そして食堂では、ナナリーの手を大事そうに握るルルーシュの姿が既にあった。
「……ナナリー、無断で出て行ってごめん。心配を掛けたか?」
「いいえ、お兄様。スザクさんが大丈夫だと仰っていたので、心配はしていませんでした」
ね?と振り返って首を傾けるナナリー。音で気付いていたのか。逆に室内に入った途端呼びかけられたスザクの方が多少なりと戸惑うこととなったが、それでも「あ、うん…」と応えた。
嘘も方便、みたいな諺がふと頭を過ぎったが、結果としてスザクは間違っていなかったのだ。そんなことを思って視線をナナリーの向こうへとやれば、ルルーシュの紫電の目とかち合った。
(…ルルーシュ?)
心の呼びかけが聞こえたのか。ぴくりと反応したように見えるルルーシュは、スザクと交わっていた視線を外し、再びナナリーへと視線を戻す。
「…ごめんね、ナナリー」
「いいえ。但し、今度からはちゃんと出掛ける時は仰って下さいね?まるで神隠しにあったみたいと、本当にびっくりしてしまったんですから」
ふふふ、と笑うナナリーにルルーシュは「神隠し?」と首を傾げた。
それを受けて説明するのはスザクの役目だ。
「神隠しっていうのは、日本の古くから伝わる民俗的な事象で、簡単に言えば子どもが突然前触れもなく失踪してしまったりしてしまうこと…だよ。ね、咲世子さん」
「はい。お靴もそのままでしたので、つい…」
「次からはきちんと靴を持ってから消えて下さいね、お兄様」
揶揄を含めるように妹にそう言われてしまえば、ルルーシュは肩を落として少しばかり落ち込んだ素振りを見せた。
「意地悪言わないでくれよ、ナナリー。もう絶対、ナナリーに何も言わないで出掛けるなんてしないから……」
―――実際のところ、ルルーシュは“出掛けた”わけでもないし、まるで神がかった力が働いたとしか思えなかったのだが、まさかそれを口にできるわけもない。
神隠し、というのはあながち間違ってはいないだろうとスザクは思う。
「…それじゃあ、ちょっと俺たちは上に行ってるね、ナナリー。……スザク、待たせて悪かったな。“会長に頼まれてる書類整理”、早く終わらせてしまおう」
「えっ、あ、うんっ」
スザクの返答も必要としないまま、退出してしまったルルーシュ。追いかけるように、スザクもまた小走りで食堂を後にした。
とりあえず言われるがままに従った。
が、実際の所スザクは来たはいいものの、或いはルルーシュが帰ってきていて安堵したものの、ルルーシュにかける言葉を考えていなかった。だからスザクは思ったことをひとつ、ぽつりと呟いた。
「………会長にまだ何か頼まれてたっけ?」
「こうでもしないと話ができなかっただろう」
溜息混じりの返答。とりあえず奇異なる体験を話す為には2人だけになることが優先だった、ということか。
それに雑務を頼まれていたのは嘘ではない。それは既に終わらせてしまったまでだ。現に、机の上にはミレイから頼まれていた書類の束が、きれいに整理されて置かれたままである。
ルルーシュもまたスザクにかける言葉を決めかねていたのだろう。少しの逡巡のあと、言葉を選びながらといった様子を見せつつも、ルルーシュは重い口を開いた。
「………悪かったな。ナナリーに心配しないよう言ってくれたんだろう?」
「え?あ、うん……。でもルルーシュが1日で戻ってきてくれて良かったよ」
僕も半信半疑だったから、と続ければ、ルルーシュの苦い顔。
暫しの沈黙。
どちらからと踏み出せないのは、事のあまりの奇妙さを考えれば当たり前だった。
「………大昔、」
先に話を進めたのはルルーシュの方だった。スザクは、相槌を打つ。
「うん」
「まだ日本に行く何年も前…ナナリーが生まれたばかりの頃の話だ。俺は、…そうだな。さっき言っていた『神隠し』にあったらしい」
「…うん」
「夜たまたま目を話した隙に忽然と姿を消したそうだ。もちろん1日中、俺の住んでいた宮では大騒ぎになったらしい。が、翌朝には何事もなかったように俺はベッドで寝ていたそうだ」
「そっか…」
つまり『彼』はあの後、無事に戻ったということだ。ルルーシュが今ここで、こうして発言していることが何よりの証拠だった。
「…結局、その後何も起こらなかったし、外部の者が侵入した痕跡も全くない。その件は時間が経つにつれ風化したし、俺も今まですっかり忘れていた」
「…………」
子どもの頃の記憶なんてそんなものだ。…実際スザクとて忘れていたのだから、人のことは言えない。
が、今、こうして思い出してくれただけでも、嬉しいことではないのだろうか。スザクはそんなことを思う。
「………スザク」
呼ばれて、スザクは返事をする。
「……懐かしい、光景を見てきた。…やはり日本は美しい国だな」
「………ありがとう、ルルーシュ。君は『あの時』もそう言って、泣いてくれたよね」
「ッ!うっうるさい!」
顔を赤くして、背けるルルーシュにスザクはこみ上げる喜びがあった。
やはりあれは彼だったのだ。自分は間違えていなかった。
(ルルーシュだったんだ)
己の国を純粋に愛おしんでくれた人。彼がどのような気持ちで泣いたのか、今ならよくわかる。だからこそ、なおさら嬉しかった。
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某方よりネタを頂戴。感謝。/ 2007.02.06