―――――何が為にと。
細められた紫闇の瞳は、暗闇の中を妖しく揺らめく。
不図、片方に波が立った。刹那、燃え盛るような――錯覚は、直ぐに消えた。
(紅い、眸)
幻を見たのだろうか。
否、そもそも目の前に立つ存在そのものが幻のようなものだった。
何故ならば、“彼”は7年前、日本という国――今はその誇りを奪われ、エリア11という――で死んだはずの存在だったから。
「………ルルーシュ。生きて、いたのだね」
声音は自分でも驚く程に平坦だった。権謀術数の渦巻く王宮において、いつの間にか身に付いた内情を隠す術。
しかしそれはあくまで表面を隠し取り繕うことができるだけであって、何も内心に蠢く驚愕という感情までもを抑えられるわけではない。
シュナイゼルは現在の事態に心の底から驚いていた。
7年前に死んだと思われる異母弟が、今、こうして己の目の前に立っていることに。このブリタニアの、正に中枢に立っていることに。“此処”に居るはずのない存在は、亡霊か? ――まるでらしくない己の思考を見透かすように、彼は微笑った。
にこり、と、目を細めて髪が揺れる。その可憐にも艶容にも見える微笑みは、彼の母親を彷彿させるには十分だった。
「お久しぶりです、シュナイゼル兄上」
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、こうして再びシュナイゼル・エル・ブリタニアの前に姿を現した。
それから一年が経った。
死んだ筈の皇子は皇帝により、その地位を復権。どころか、一気に有力候補と呼ばれてきた皇子皇女の継承権を奪い、いつの間にかシュナイゼルの直ぐ下、第三皇位継承権までもを手にしていた。
それは一年の間で『黒の皇子』と囁かれるようになった彼自身の能力にも寄るところがあったが、何よりも皇帝直々に目を掛けられた、というところが大きい。
還ってきた当初から、ルルーシュの扱いは破格といえた。
制圧したエリア、死んだとされていた地で、生き延びたことを評価されたのだと。事実を知らない者達は、そう察する他ない。だが、たかがそれだけのことであの皇帝陛下が目を掛けるのだろうか? その疑問は誰しもが抱いていた。
シュナイゼルは事実を知らないわけではなかった。正しく言えば、その欠片を知っている。事実を事実として知っているわけではない。
次の皇帝に最も近いとされているシュナイゼルでさえ、父王と異母弟の間で交わされた契約を知らなかった。
「父君は次の皇帝を私ではなく、君にするつもりなのかな――?」
それは意図して言った言葉ではなかった。柄にもなく、無意識の内に零れてしまった問い。まさか自分がそのような失態を犯す日が来ようとは思わなかったが、言ってしまったものは仕方あるまい。
その問いにルルーシュは驚いたのか。否、まさかルルーシュもシュナイゼルがそのようなことを問うてくるとは思っても居なかったのだろう。きょとん、と目を瞬いた姿は、今や誰もが認める『黒の皇子』にしては幾分あどけない。その直後、目元を弛ませてクスクスと笑い出す仕草があまりにも柔らかく、幼い頃を彷彿する程の素直さであったから――本国に帰還してからの彼は生来の幼さも残しては居たけれど、どちらかというと鋭利な雰囲気を身に纏うことが常だった――シュナイゼルもまた驚いた。
何かおかしなことを聞いたかな? と少しだけ茶化したように聞けば、ルルーシュは楽しそうにええ言いましたと肯定。
「まさか、シュナイゼル兄上がそのようなことを仰るとは思わなかったので」
それこそ周囲が皇帝陛下はシュナイゼル殿下ではなくルルーシュ殿下を寵愛し、その地位を譲ろうとしている――そうまことしやかに囁いていることは、誰もが承知のこと。それほどに一見、皇帝のルルーシュに対する扱いは例を見ないほどに甘い。シュナイゼルから見ても、そうと、思ってしまうくらいには。
しかしシュナイゼルは父たる皇帝がどのような人間かは他の人間よりも少しだけ多く知っている。だからルルーシュの扱いにもまた、まさか噂されているようなルルーシュ本人か或いは故マリアンヌ皇妃への情に依るものなど、欠片も思っては居なかった。
同時に、シュナイゼル自身、皇帝の座を熱望したことはない。ただ、自分よりも先に生まれた第一皇子よりも自分の方が有能であり、その為に次期皇帝の座を手に入れる身になってしまっただけだ。興味がないとは言わない。しかし執着があるわけではない。もし父が次の皇帝をルルーシュに譲るのだと明言したところで、ルルーシュが己よりも有能ならば構わないし、無能ならば自然とその座は自分の物になる、その程度の認識に過ぎない。だから先の問いは、シュナイゼルにしてみたら聞いたところで意味のないものでしかないのだ。
ルルーシュの楽しそうな笑い声は、シュナイゼルがそのように考えていたことも承知していたのだと教えていた。
「そうですね……もし兄上が俺よりも無能とあらば、次期皇帝の座を頂くことも考えると致しましょうか?」
「そうきたか。…では、今の君は、私から次期皇帝の座を奪おうとは考えていないと思っても良いのだろうか?」
「それは兄上がよくご存知の筈ですよ。大体、俺が今ここにいること自体、答えでしょう」
肩を竦めて、口端を上げる。手の平返す仕草は、疚しいことがないとでも主張しているのか。
滑稽にも思えそうなその態度が何故だか奇妙に微笑ましく思えて、それが本心だろうが企みを隠していようが、どうでも良いのだと悟った。何か企みを起こそうものならば恐らく既に罠を張っているのだろうし、それに己が気付けなかったというならばそれまでだ。逆に、気付いていないのではなく事実ルルーシュが何も罠を張っていないというならば、それが答えだ。
「偶には弟の言い分を素直に聞くのも悪くないかな」
「貴方に素直に聞いて頂けるなんて、光栄ですね、兄上」
くすり、と揶揄めいた笑み。
「素直に聞いて頂いた御礼です。ひとつ、兄上がお気になさっている事の答えをお教えしましょう」
「ほう?」
それは興味深い、と耳を傾けてみれば、ルルーシュはシュナイゼルの態度に満足したのか。しかし語る目は笑っていないことから、これから告げる『答え』とやらがルルーシュ本人にとってみればあまり嬉しくはない事柄に違いない。それをシュナイゼルに教える、ということは、ルルーシュの一端を切り開くと言うこと。それがシュナイゼルに奇妙な高揚感を覚えさせた。
「これより先、ブリタニアの新しい子供は生まれません」
ああ、正しく言えば、第98皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの血を引く子供ですね。
既に100人以上の皇妃を召しておき、その子供の数も把握するには気が遠くなる。
それがぱったりと止まっていた。
おそらくはルルーシュが帰還したその頃から、新たな后を迎え入れる動きもない。
微かに勘付いては居たが、大した問題ではないのだろうと重要視していなかった。まさか精力が尽きたなんて事はあり得ないと思ったから、単純に気が乗らなかったのか。そういう人間でもないことは知っていたが、これといってシュナイゼルはその事実を深く気に留めては居なかった。
しかし、それが意味するのは。
「……目的が果たされたということか?」
「己の血筋を引き継ぐ者から、王の力を宿す器を彼の男は手に入れたかった。それだけのことですよ」
ゆらり、とルルーシュの片眼が揺らめく。
「王の力?」
「契約は、ブリタニアの魔女との物。しかし魔女が選ぶ王は王に限らない。そして王は誰の為の王でもない。王の力とは王が持つに相応しいと魔女が名付けただけであり、しかしその力故に王は孤独」
次第に紫から赤へ滲み渡る。
浮かび上がった文様に覚えがあったが、ここで繋がるとは想定外だった。同時に、これで全てが繋がった。
「ルルーシュ」
「何でしょう」
「何故ブリタニアに戻った?」
一年越しの問い。
「俺には守らなければならないものがひとつだけ、残されました。それを守る為ならば、何を利用することも構わない。ただそれだけのことです」
「ならばお前自身を私が手に入れても構わないかな?」
そうしてルルーシュは艶やかに笑った。
紫水晶と称される両の瞳を細めて、さながら蠱惑的に、挑発するかのように、喜色を押し隠すように。
「貴方にそれができるならば。――シュナイゼル兄上」
26. 隣に居ることを許されるくらいにはなりたかった
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枢機卿でもよかったけどそれはまた次にでも。
きな子/2008.02.26