ぷっくりと膨れっ面。子供特有の艶やかな肌が膨らむ様は、実に愛らしい。
とても子供らしい表情。しかしこの子供がこんなにも年相応な仕草をするのは稀で、その様子にシュナイゼルはつい喉を鳴らして笑った。
彼にしても珍しい笑い方だ。第二皇子と言えばその温厚な表面とは裏腹に、私情を挟まない優秀な能力と手腕で知られている。冷徹とは思われてはいないものの、親しみ易い為人でもない。
そんな彼がとても愉しそうに笑っている。あんまりに笑うものだから、からかわれていると思い顔を真っ赤にした異母弟は「兄上!」と窘めるように叫んだ。
それはとても和やかな場面。骨肉の争いが繰り広げられている宮廷内とは思えないほど、穏やかな。
彼らの間には、チェス盤が置かれていた。
「…いや、すまないね、ルルーシュ。お前があまりにかわいらしい顔をするものだから」
「バカにしないで下さい!」
勿論、シュナイゼルはルルーシュをバカにしているつもりなどないし、彼の幼い仕草が微笑ましい余り、というのは本音だ。しかしいつまでも腹を抱えて笑われれば、そうと思ってしまうのも仕方ないことか。
尚も愉快そうに余韻を引くシュナイゼルに、ルルーシュは「笑いすぎです、兄上!」と抗議。
「ああ、すまない。ほら、そんなにむくれるんじゃない。」
「兄上がいけないんですっ」
ふんっ、と臍を曲げてしまった子供にやれやれとシュナイゼルは肩を竦ませる。その視線はどこまでも甘い。シュナイゼルに憧れを抱くお嬢様方が見たら黄色い悲鳴でも上げてしまいそうなものだったが、生憎とその視線の先の想われ人はつれない。
先程までの勝負に負けた上、こうまで笑われたのではルルーシュがふて腐れるのも無理はない。少しばかり度が過ぎたかと反省しながらも、こんな風に年相応に悔しがるルルーシュの姿を見るのはシュナイゼルにとっても好ましいことだったのでやはり仕方がない。
「……それにしても、お前にしては突飛な発想に出たものだね?」
眼前のチェス盤。既に勝負は決しており、その勝敗は明かである。
しかし盤上の駒はいつもの対局とは些か様子が違っていた。所々、駒の配置が似通っているのである。それが示す事実は。
「……無駄だとはわかっていましたが…」
「しかしまるっきり無駄、というわけではなかっただろう?」
そう問われれば、ルルーシュは幼い表情を引き締める。真摯に盤を見詰める視線は、冷静に状況を分析しようとするもの。先程までシュナイゼルが対峙していた視線だ。
「はい。けれど兄上の考えは奥が深くて、僕には読み切れませんでした」
悔しそうに項垂れる子供は、己の力量不足を思ってか。しかし十も違う相手の思考を読めないのは当たり前のことで、それに食い付いてきただけでも十分であるのは事実だ。
正直シュナイゼルは驚いていた。無論、歓迎すべき驚きである。
違和感を覚えたのは3手目をルルーシュが放った時だ。それがシュナイゼルの手を模倣してのものだと直ぐに判じた。成るほど、そう思ったシュナイゼルは黙ってルルーシュに付き合ってやることにした。恐らくその点はルルーシュも理解していたのだろう。
所謂、相手の手を真似ることで相手の考えを読み解く手法。しかしこれは基本的に先にキングを追い詰めることができる先手が勝つに決まっている。実際、途中シュナイゼルはひっかける手を放ったのだが、それを的確に読んだ上でルルーシュはシュナイゼルの手を模倣し続けた。結果的にルルーシュのキングはシュナイゼルの見事な立ち回りによって絡め取られたのだが、そうしなければならないくらいにルルーシュの判断もまた見事といえた。
シュナイゼルはルルーシュの手に気付いた時、浅はかとは思わなかった。彼は目前の勝利を目的とはしていなかった。あくまでシュナイゼルを観察し、その向こうにあるいつかの勝利を考えてのことだ。
刃向かうつもりがあるわけではないだろう。しかしルルーシュのそうした態度はシュナイゼルを愉快にさせた。
―――もし、ルルーシュが実際に己に楯突いたならばどうだろうか。それを考えるとぞくぞくする。
この子供をわざと陥れて己に刃向かうよう仕立てるのも愉しいかもしれない。本気で勝負する高揚感。ルルーシュという子供は、それに値するかも知れない。
そんなことを思ってもみたが、馬鹿なことをと頭を振った。手放すには惜しい。率直な感想だ。
「ルルーシュ」
呼べば、彼は「はい」と素直に顔を上げる。
純度の高い紫水晶のような瞳は実に希有。これも手放したくはないな、とシュナイゼルは思う。
「強くなりなさい。
私のコピーではなく、私以上の力を求めると良い。私はいつでもお前の上に立とう。お前が更なる力を得ることができるよう、私もまた――――」
そう言った男は、今や帝国宰相の地位までに上り詰めていた。
「……どうされましたか、ルルーシュ殿下」
話し掛けられた青年は、ゆったりと瞳を開ける。その美貌は年々磨きが掛かり、顎に手を置いた動作も優雅に見せるだけの気品に恵まれた青年。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア――神聖ブリタニア帝国にて現在、皇位継承権十七位にある彼は、部下の問いかけに億劫そうに答えた。
「…少し、昔のことを思い出していただけだ」
ぼうっとしている様子はあまり彼らしくない。彼の側近を任命されている辺境伯たるジェレミアはルルーシュを気遣ったが、当のルルーシュはそれを煩わしそうに払い、視線をジェレミアへと向ける。
「お前、今回の作戦についてどう思った?」
「は?どう、とは……?」
「そのまんまの意味だ。どう思った?」
繰り返し問われジェレミアは考える。下手なことは言えない。なんといっても相手は『黒の皇子』として名高い、ルルーシュである。しかも宰相である第二皇子の懐刀とまで噂されている彼の実力は、間違いなく本物であることをジェレミアはその身でよく知っていた。
「……いつもながら、完璧で隙のないものであったと思いますが…‥」
が、そんなお粗末程度なことしか言うことはない。
実際、今回に限らずともルルーシュの戦略は見事なものである。言うなれば、この黒の皇子と彼を庇護する第二皇子の作戦はいつも隙がなく完璧なものだ。情報の分析力も、戦場に対する先見性も、何もかもが彼らの手中で遊ばれているかと錯覚させられるほどである。
この感想は何もジェレミアひとりが持ち得るものではなく、大体のところで一致している。
しかしルルーシュはその回答が気に食わなかったのか、眉を顰めた。
「…違う、な。やはりうまくはいかないものだ」
「は…?」
「兄上と俺は違うんだ。どんなに真似てみたところで、うまくいくわけがない」
ひとり呟くように続けたルルーシュに、ジェレミアは困惑する。
果たして何のことを言っているのか。ルルーシュとシュナイゼルの違い?
「殿下、それはどういう……」
「今回のは兄上の思考に乗っ取った作戦を立ててみたが、やはり俺には向かないことがよくわかった。あの人の考えることは相変わらずよくわからない」
「はぁ…」
ジェレミアにしてみればルルーシュの思考とてわかったものじゃない。ましてや、わざわざシュナイゼルの思考に基づいて、という思考そのものがわからない。
しかしルルーシュは部下の困惑など気にも留めない。はあ、と肩を落としたと思えば、うんざり、といった顔で呟く。
「…ああ、でも兄上にはばれるのだろうな。また、笑われるのか……」
そのルルーシュの呟きはジェレミアが聞いたところで正しく想像できるものではない。第二皇子がこの異母弟に心を砕いていることは、ルルーシュの側近だからこそよく知ってはいる。だからといって、それに慣れるかどうかは話が別なのである。
というか、正直に言えば彼らの関係を推し量ることは踏み込んではいけない領域にもよく似ていた。彼らの義兄弟姉妹なり、―――或いは騎士なり、もう少し近い立場にあれば、欠片なりと理解することはできたかもしれないけれど。
だからジェレミアはルルーシュの問いかけに応えることはできない。
そうしてルルーシュは、ここには居ない誰かに問いかけるよう、呟いた。
「俺はいつになったら貴方の元へ辿り着けるのですか」
――――兄上。
その人の背中はまだ遠すぎた。
07. 真似てみたところで上手くいくはずもなかったのに
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ルルーシュのジレンマ。一歩近付いたと思う度に、遥か遠いことに気付いてしまう。
きな子/2007.06.27