嫌な予感はしていたのだ。
 ただ異母弟に関して言えば信頼していたし、実妹が無茶を言ったところで諫めてくれるものだとてっきり思っていた。しかし思えば彼も妹には弱かったから、押し切られることは予想の範囲内といえばそうだったかもしれない。
 コーネリアは蛻の殻になった室内を見回しながら自分の迂闊さに頭を抱えた。無情にも奥の天窓では青い空が澄み渡っているのがとても見通しよく見え、窓際に固定されたカーテンがそよそよと風に揺られている。それは細く紐状にまとめられロープ代わりにと地面まで伝っていた。それこそが脱走者の手口の証拠であり、ここが二階だというのに脱走劇を決行した無謀さにコーネリアは怒りと焦燥を覚えずにはいられなかった。
「ギルフォード!」
「は、姫様」
 側に仕える騎士を呼び寄せコーネリアは厳しい表情で命令を下す。その口調が戦場を彷彿させるほどであったのは、それだけコーネリアにも余裕というものがなくなっていたからであろう。
「現在政庁に詰めている者を総動員し、即刻ユフィとルルーシュを捜索、保護せよ!宰相閣下にも報告し、協力を要請しろ!可能ならばこちらに待機している兄上直属の配下も回してもらうよう頼んでも構わん!」
「イエス、ユアハイネス!」
 さながら臨戦態勢。騎士たるギルフォードもまた事の大仰しさを受け止めたのか、指示を仰いでからの動きは機敏だった。
「いいかっ、あの2人を侮るなよ!ルルーシュの策略とユーフェミアの行動力を舐めてかかるとこちらの足下が掬われることになるぞ!二度とこんな馬鹿な真似をする気を起こさせないよう、徹底的に探せ!早々に2人を見つけ次第、確保することを最優先事項とするっ!!」
 私も出る!と言ってマントを翻したコーネリアは慌ただしくなった邸内で猛々しく指示を下しながらも、「全くユフィの奴はいつもルルーシュがいると無鉄砲ばかりルルーシュも止めろと言っているのにああ見つけたらこってり絞らなければここは兄上からも忠告してもらうのがいいかいやしかし兄上は兄上で甘いからここはひとつけじめの為にも私がびしっと言ってやらねば……」等々愚痴る彼女は、実際のところ日常茶飯事でしかなかった。






 ところで時間は少々遡る。

 ブリタニア国内でも有数の市である政庁に居を構えている皇族に連なるリ家の次女は、姉に呼び出されていた異母兄を用事が済み次第、自室に招いていた。彼女にとって直ぐ上の異母兄は数少ない懇意にしている相手であったし、中でも特に好意を抱いている相手であるのは一目瞭然。異母兄の方も殊更妹に甘い性格をしている為、別腹の兄妹でも周囲からはまるで恋人同士のように噂されるほど仲が良かった。
 実際、ルルーシュを呼び出したのがコーネリアであっても、話している時間が長いのはユーフェミアの方である。無論、コーネリアもそれは承知の上。実妹も異母弟も可愛がる彼女はつい2人を甘やかしてしまう面があった。
 そんな背景を背に、ルルーシュとユーフェミアは2人きりの時間を過ごす。
 この時、ユーフェミアが思い付いたようぽんと何でもないことのように提案をするのもまた、日常茶飯事。

「ねぇ、ルルーシュ。街へ行きたいの」
「………は?」

 上目遣いで可憐な唇からこぼれるお願いに基本的にルルーシュは弱い。とても弱い。とてつもないくらいに弱い。
 和やかな会話で盛り上がっていたところにユーフェミアのお願い。ほっと一息吐いたところでタイミングも絶妙。彼女もまたルルーシュに“お願い”することには長けていた。
「街、って……別に普通に行けばいいんじゃないか?」
 姉上に頼んで、とルルーシュが真っ当なことを言えばユーフェミアは頬を膨らませて「それじゃダメなの!」と抗議。
「だってお姉様に頼んだら、絶対に誰か一緒に付いてくるじゃない」
「それは、そうだけど……」
 しかし立場を考えればそれは仕方あるまい。ルルーシュもユーフェミアも滅多に顔を出すことはしていないが、それでも歴とした皇族なのだ。いくらブリタニア本国の市町と言えど、危険はどこに転がっているか知れない。皇族に何かあったときは自分たちの意志に関わらず良くも悪くも影響が大きいのだから、自重しなければならない面は多い。
 しかしユーフェミアはわからないわけではないのだが、それが嫌だった。

「私はルルーシュと一緒に2人で街を回りたいの」

 デートがしたいの。
 そう言ったユーフェミアにルルーシュは目眩。誰だユーフェミアにそんなことを吹き込んだのは。異母妹の好奇心旺盛さと天真爛漫さは他ならぬルルーシュのよく知るところ。
 しかもルルーシュは男で長子だからそれなりに自由は利くが、ユーフェミアはそうはいかない状況にあり、その分というのか鬱憤が溜まりやすいらしい。それに付き合わされるのは十中八九ルルーシュなのだが、何だかんだとユーフェミア大事のルルーシュはその願いを殆ど叶えてやっている。自分が上の兄姉に甘やかされているのを実感しているからその反動かもしれない。今もルルーシュはユーフェミアの懇願に溜め息を吐いたものの、それだけだ。仕方ないなと叶えてやるつもりになっているのだから、ユーフェミアもまたルルーシュには比較的我が儘が多くなるのは当然といえば当然。
「……つまり姉上にはバレないように出たいと?」
「そう!」
「多分、というか絶対見つかると思うが?」
「少しでもいいの。途中で見つかっちゃってお姉様に怒られたら、ちゃんと私が言い出したのって言うから」
 そこまで言われればルルーシュも引けない。
「……ユフィひとりが怒られることはないよ。俺も一緒に怒られるから」
 その答えにユーフェミアは「じゃあ!」と目を輝かせた。
 頷いたルルーシュは窓際へと寄って下を確かめる。しばし黙って眺め距離を測っていたのだが、「……まぁ、ユフィならこれくらい大丈夫だろう……」と呟く。心配なのはどちらかと自分の方なのだが、とは流石に言わない。
「カーテンを使えばなんとか降りられそうだ。ユフィ、大丈夫?」
「木登りだったら得意だから、任せて!」
 そこで気遣うように「あ、ルルーシュは大丈夫…?」だとか聞くものだからルルーシュは平素を装って「当たり前だろ」と笑う。内心ではカーテンをしっかりと固定させればとりあえず落ちることはないだろうと算段。ついでに降り立った後の経路を脳内で張り巡らせる。おそらくそう時間も経たない内にコーネリアが自分たちを掴まえる包囲網を展開するだろうが、こうなった以上はルルーシュもそう簡単には捕まるつもりはない。めいっぱいユーフェミアを楽しませてやりたいという気持ちはただの妹馬鹿でもあり得るしそれ以外の気持ちもあり得るし、とにもかくにも嘘偽りはない。やるならば徹底的にやらなければ。例え異母姉だろうと、容赦はしない。
 コーネリアよりも一足先に臨戦態勢に入っていたルルーシュはせっせとカーテンを解いて作業を始めた。横から覗くユーフェミアは期待に満ちた表情。やっぱりルルーシュは器用なのね、と嬉しそうに言うものだからルルーシュも満更ではない。
 数分としない内にロープはできあがり、ルルーシュは絶対に解けないようにと固く固く窓際に固定した。少し長さは足りないように見えたが、飛び降りる分には大丈夫だろう。
 しっかりと確認した後、ユーフェミアに頷いて準備が整ったことを教える。
「危ないから俺が先に降りるよ」
「大丈夫?木登りは私の方が得意だったから、私が先に降りた方が…」
「大丈夫だよ。俺が先に降りるから、ユフィは俺が合図したら降りるんだ」
 いいね?とやんわり凄まれてはユーフェミアも頷かない訳にはいかない。2人の運動能力は男女の差があったところでユーフェミアの方が若干上だったりするのだが、ルルーシュはそれを認めたがらない。男ならば当たり前だが、ユーフェミアにしてみればハラハラさせられることもないわけではないのだ。
 そろりと窓を跨いでくいくいとロープ代わりのカーテンを引っ張るルルーシュ。その顔は真剣そのもので余裕が取り去られている。ゆっくりと慎重に外壁の突き出ている箇所に足をかけて一歩ずつ降りていく。上から覗くユーフェミアは今にも足を滑らしてしまいそうなルルーシュを心配そうに見遣っていたが、―――「ほわっ!」「きゃっ?!」直後ずるっ!と勢いよく滑ったルルーシュにユーフェミアは「ルルーシュッ!」と声を上げる。つい身を乗り出したユーフェミアの眼下にはどうにかカーテンにぶら下がっているルルーシュ。心臓の位置に手を組んで祈る仕草をしたユーフェミアは鼓動がどくどくと波打つのを実感しながらルルーシュを見守るしかなく。ルルーシュもどうにか踏ん張って、ギリギリの位置まで壁を伝う。どうにも情けない体勢ながら下に飛び降りたルルーシュだったが、上を見上げてユーフェミアに大丈夫だと合図を送った時には笑顔を取り繕っていた。そうすればユーフェミアもほっと安心したし、俄然やる気になって彼女もまた窓を跨いでルルーシュよりも大分早い速度で壁を伝い降りた。
「ユフィ!あんまり無茶しないで…っ」
 大声で叫べば見つかってしまうかもしれない。しかしひょいひょいと降りてくるユーフェミアにルルーシュもまた心配が募る。ルルーシュが飛び降りた位置よりも少し手前に着いたユーフェミアは、――― そこで飛び降りた。
「ユフィ!」
「え?きゃっ!」
 危ない!と腕を伸ばすルルーシュにユーフェミアは驚く。まさか受け止める気か!そんな無茶なことを!ユーフェミアが思ったところで止める声を発する前に、どすん!と衝撃は訪れた。
「い、たたた……って、ルルーシュ?!大丈夫?!」
 思わぬ展開についバランスを崩してルルーシュに落ちたユーフェミア。慌てて飛び退いたが、ルルーシュは「……だ、大丈夫、だ……」と見るからに強がり。その様子がなんだかおかしくて、ユーフェミアはつい笑い声をあげていた。
 ルルーシュの方もまた自分の格好悪さは承知しているのか苦笑い。あんまり笑わないでくれ……と言ってみたものの、謝りながらもユーフェミアは肩を揺らし続けた。
「……ユフィ」
「ごめ、ごめんなさい、ルルーシュ。でも、だって…!」
 嬉しくって、と笑い続けるユーフェミアにルルーシュは恨みがましく「…いつまでもこんなとこにいたら姉上に見つかるぞ」と睨め付ける。するとユーフェミアははっと笑うのを止めて慌てる。その様子に今度はルルーシュが笑うものだからユーフェミアは頬を膨らませた。
「ルルーシュ!」
「わかってるよ、ユフィ」
 ルルーシュはユーフェミアの手を取って、彼女を立ち上がらせる。

「さて、どこへ参りましょうか?お姫様」

 芝居がかった声にユーフェミアはきょとんとルルーシュを見た。しかし顔を綻ばせるのもすぐだった。

「あなたがこの手を引いてくれるなら、どこまででも」

 繋いだ手を握り返す。
 そうすればルルーシュが誰よりも綺麗に笑ってくれるとユーフェミアは知っていたから、自然と幸せな気持ちが沸き上がってきた。


 この数時間後、コーネリアによる市中を巻き込んでのルルーシュ・ユーフェミア捕獲作戦が決行されるわけだが、しばしの間2人が心ゆく時間を過ごしたことは言うまでもない。



優響5題/4.二人のてのひら





きな子/2007.08.06