シュナイゼル・エル・ブリタニアはこの時勢において非常に優れた施政者であった。
 神聖ブリタニア帝国という世界一の大国の次期皇帝と目されて久しく、彼の手腕により世界は争いではなく平穏へ導かれつつある。
 彼の元には多くの有能な人間が集った。その中には、皇位を争う立場であった異母弟妹も少なくなく、彼は特に自らが有能だと認めた相手には相応の地位を与え、彼の治政に大いに役立てた。
 ――数多い弟妹の内、特に有能と目されているのが第11皇子、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアであった。
 表舞台を退いたとはいえ、彼の母マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアはブリタニア帝国内において絶大な力を見せつけた人間の一人。今もなお彼女の存在は一際であり、生きる伝説にすらなっている。
 そんな彼女の知性と豪胆さを引継ぎ、十代の若さで頭角を顕わにしたルルーシュは、17番目の継承権と低くありながらもシュナイゼルの下に就くことやコーネリア、クロヴィスといった上位継承者の者達と懇意にすることでその地位を盤石に固めつつあった。
 シュナイゼルもまた、ルルーシュのことを高く買っている。帝国内においても、それは事実としてまことしやかに囁かれていた。


「私を、日本に……ですか?」
 普段と変わらずに異母兄の執務を補佐し、日も暮れてきた頃。そろそろいつものように部屋を辞そうとしたその時だった。
 ああルルーシュ、君に少しの間日本へ行ってきて欲しいのだよ。
 まるで世話話の延長のように告げられた異母兄の、しかし絶対勧告の響きを持たせたそれに、ルルーシュは自分の耳を疑った。ぎょっとして異母兄を見てみたが、彼はいつもの柔和な笑みを浮かべるばかり。空耳か? と思えど、それはこの場では許されない。
 慎重に反芻すれば、何てことのないように異母兄は頷いた。
「ああ。日本にはアッシュフォードの創設した学園にミレイ嬢も通っていると言うではないか。ちょうどいい。異文化交流も兼ねて、少し市井の生活というものを学んでくるといい」
「私に、学生をやれ、と?」
 目を丸くした。まさか冗談だろう、と。態度に出しても相手の泰然は揺るがない。
「そう、聞こえなかったかい? 君はそれほど物分かりが悪い方ではないだろう?」
「ッ――! 冗談ではありません! 何故……っ、例え学生をするにしたって、何故、日本など極東の地へ行かなければならないのですか! 本国でアカデミックに通えばいい話ではないのですか!」
「いいや、ルルーシュ、君には日本の、パブリックスクールに通ってもらう。これは決定だよ」
「ッ……どういうことですか、兄上……っ」
 ぎゅ、と拳を作る。下されたのは否を言わさない命令だ。異母兄がこうと言えば、ルルーシュが覆すことは不可能に等しい。
 何故、と繰り返す。
 日本……ブリタニアから遠く離れた極東の地。興味も沸かないような小さな島国であった。資源が豊富ということ、そしてアジアの島国という特性上、ブリタニアとはかけ離れた文化を形成していること、持っている知識とてそれくらいのことだ。ブリタニアと教育水準もさして変わらず、留学するメリットも見当たらない。そのような場所へ『学生』として行けと命ぜられたことは、ルルーシュにとって左遷されると等しい。屈辱でしかない異母兄の指示にルルーシュは拳を強く握る。
「ッ……私は、兄上のお役に立ちたいと常に思っております」
「ああ、よく知っているよ。君は、私によく尽くしてくれているし、私も君の能力は買っている」
「私が皇位に興味はないことは兄上もご承知の筈です。何なら今すぐにでも継承権を返上してもいいと思っています。兄上に仕えることがブリタニアの為と思ってこそ、私は己を研鑽して参りましたし、今後もその努力を弛ませるつもりはありません」
 それは心強い、とシュナイゼルは何ら変わらぬ調子で頷く。ルルーシュに日本に行け、と命じた同じ声で言う。
 奥歯を噛んだ。異母兄の心が読めなかった。
「……私は兄上にとって役立たずでしょうか」
 これでも他の人間よりも秀でているという自信はある。それだけの努力は重ねてきた。この能力、人格共に素晴らしい異母兄に認められるだけの能力は持ち得ているという自負も持っていた。それが今、他ならぬ異母兄によって突き崩されたような敗北感。
「ルルーシュ」
 シュナイゼルの手がルルーシュの頬を撫でた。十近く離れた異母弟に対する、まるで子供扱いのそれ。ルルーシュに振り解く力はない。
「君の優しさは限定的過ぎる」
「…………?」
 唐突に言われた言葉にルルーシュは眉を顰める。シュナイゼルの態度は変わらない。彼はあくまでおおらかに、緩やかに、他者を物ともしない柔和な笑みを浮かべ続ける。
「君は確かに優しい。ナナリーやマリアンヌ皇妃に対し、ユーフェミアやコーネリア、クロヴィスに対し、そして私に対してもよく尽くしてくれている。そんな君のことは私も自慢に思うよ」
「っ、ならば、」
「けれどそれだけだ。君は懐に入れた者以外、受け付けようとしない。時折、他人を他人と思わないこともあるだろう」
「それ、は……」
 言葉に詰まる。にこりとシュナイゼルは笑う。
「私と同じ、かな?」
「ッ」
 胸に冷たいものが過ぎる。同時にカッと熱くなる。指先が痙攣を起こしたようだ。無意識に溜まった唾を飲む。
「……俺が、狭量だと仰りたいのですか」
「私はね、ルルーシュ。君のことを高く買っている。兄弟で言えば、誰よりも側に置きたいと思っている。――けれど私と【同じ】では意味がないのだよ」
「……仰っている意味がよくわかりません」
「私の想像の範疇でしかない君は必要ないと言ったんだ」


 そうしてルルーシュは数週間後には日本の地を踏んでいた。
 今頃、本国では何を言われているのか――元より敵も多かった身、おそらくシュナイゼルに見放されたとでも小気味よく嘲笑されていることだろう。そんなことにすら屈辱感を抱く自分が惨めで仕方がない。
 ルルーシュを出迎えたミレイ・アッシュフォードは、幼少の砌より知る相手の不本意ありありな表情の心情を手に取るように汲んで慰めながらも、編入する学園へと連れて行った。
「祖父もルルーシュ様がいらっしゃることを心より歓迎しておりますわ。――何か、ご不満な点でも?」
 ヴィ家の後見を務めるアッシュフォードとの縁は深い。わざわざ遠い島国に広大な学園を創設するくらいなのだから、アッシュフォード家の教育に対する熱意は相当の物だし、ルルーシュもその点に関しては彼の家に対して敬意を抱いている。しかしこうして日本にまで飛ばされる羽目になった今となっては、恨めしい。さすがにそんなことを口にするわけにも行かないルルーシュはそれでも口を尖らせ、そもそもの元凶になった異母兄に対する恨み言を慣れ親しんだミレイへ発していた。
「不満は、兄上に対してだ。あの人は俺のことを必要ないんだろう」
「あら、シュナイゼル殿下がそのようなことを仰ったのですか?」
 必要ないのだと――言ったに、等しいだろう、あれは。少なくともルルーシュはそう捉えた。頷けば、ミレイは少し首を捻って悩む素振り。
 何か知っているか、或いは異母兄の真意をミレイはわかるのか……僅か、期待を込めた視線でルルーシュが問いかければ、彼女は綺麗に微笑した。
「私のような立場の者が殿下方のお気持ちを察しようなんて、烏滸がましいことなんですのよ」
 だからわかるわけがないだろうと一刀両断。あまりにもあっさりと期待を裏切られ、ルルーシュは拗ねたような表情。一つ上の面倒見が良い幼なじみには、本人も気付いていないのか時に甘える素振りを彼は見せる。そのことにミレイはルルーシュに気付かれないように微笑みながらも、『烏滸がましい』とは言ったものの彼の異母兄の考えに思い当たる節がないわけでもないのだ。
「分かち合える相手が欲しいのじゃないかしら……」
 ぽつり、小さく呟いた声はルルーシュの耳には届いては居なかったようだ。
「? 何か言ったか?」
 いいえ、とミレイは首を振る。答えは彼自身が見つけるべきこと。そのためにシュナイゼルも、こんな遠い島国に最愛の実妹と離れさせてまでルルーシュを送ったのだろう。
「とにもかくにも、ここではルルーシュ様はただの学生。ご不便はあるかもしれませんが、この三年間は貴重な青春を味わうモラトリアムだと思って、めいっぱい満喫して下さいね。……ほおら、そんな仏頂面はしないの! ルルちゃんの可愛い顔が台無しだわぁ」
 そんなミレイ言葉に、ルルーシュはさらに眉間の皺を深くする。
 世界一の大国の、最上の地位で生きてきた人間。周囲に傅かれることが当たり前で、常に人の上に立ってきた。そんな彼がいきなり【学生】として、同い年の人間と対等に過ごせというのは少し酷かも知れない。
 けれどミレイが居る。この為に自分はここに居るのだと、不思議とミレイは今まで全く疑問に思わなかった現状に自らの使命を見出していた。
 故に、彼女にとってこれから彼に言うべきことは、必ずも成し遂げなければならない至上の命題。
「……絶対にここで過ごす時間はあなたにとって得難い物になりますわ」
「大層な自信だな」
「そりゃあもう。私の一生を懸けますから」
 楽しくないなんて言わせないわ。
 きょとんとしたルルーシュに、ミレイはさてどうしてやろうかと光明が溢れんばかりの未来へ思いを巡らせた。


39. きずを重ねるたびにきらめきが強くなっていく




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獅子は千尋の谷にわが子を落とす的な兄。シュナルルミレのつもりもオチは弟が男に食われて帰ってきた兄の誤算ってことです。 ちょっと尺が足りてない。
きな子/2011.05.07