「…………シュ、……ルーシュ」
心地よい振動に揺られ、頭の芯は朦朧としていた。瞼が重く、力の抜けた体は何かに支えられていて、楽だ。
それでも自分を呼ぶ声が次第にクリアになって、同時に雑音もまた耳に入り始めて。持ち上がらない瞼の下でまばたきを繰り返しながら、ひらいた視界に広がった景色を確認する前に、自分を呼ぶ声が直接耳に吹き込まれるくらいの近さだったことに意識を持っていかれた。
「ルルーシュ、起きた?」
「…………っ?!!」
びくり! と体が跳ねた。おそるおそる顔を上げてみたら、とんでもない至近距離に見覚えのある男の顔。さらには自ら彼に寄りかかっているような体勢になっている…ことに気付いたものの、対処する前に、手を引かれた。
「っ?!」
「寝起きで辛いだろうけど、駅、着いたから」
と、言われ、ようやく車内アナウンスが耳に入る。そこはまさにルルーシュの降車駅で、車窓にはのどかな田舎風景など遠く過ぎ去り、都会の人が溢れんばかりホームにさしかかっていた。スザクに手を引かれるまま人波を掻き分ければ扉は開き、そのまま人がごった返すホームを流れるままに進む。未だ寝起きの頭はぼんやりとしていて、エスカレーターを上り、また人波に流れるまま改札を出る。
押されそうになりながらもようやく一カ所に集中していた人混みがまばらになって、息を吐く。スザクに手を引かれている右手が、異様に熱い。そのことに気付いたルルーシュ、今になって動揺する。
それほど強く握られるとは思わない。なのに、左右の体温のあまりの違い。まるで彼の体温が与えられたかの感覚に、ルルーシュはひどく狼狽していた。
が、スザクはまるでそんなこと気にした様子なく、ルルーシュに「大丈夫?」と聞いてくる。慌てて首を振る他ない。
「す、すまなかった! その、すっかり、寝てしまって……!」
「うん、ルルーシュ、気持ちよさそうに寝てたね」
あまりにあっさり言われてしまうと、恥ずかしさがよりこみ上げてきてしまう。
さすがにこれはない。
一度ならず、二度までも。どこまで自分はこの男の前で失態を演じれば気が済むのだろうか。軽い自己嫌悪すら覚えたが、やはりスザクにそんなルルーシュの内心が伝わることはなく、スザクは「行こう」とルルーシュを促す。態度は今日ルルーシュを連れて歩いたものと丸きり変わらないのに、まるで手が繋がっていることなど忘れているかのようにそのまま引かれる。
この繋がった手だけが、イレギュラー。
(……不可抗力だ!!)
スザクが手を引いてくれなければおそらくルルーシュは乗り過ごしていただろうし(そうなる前に起こせばいいものを! と思いはしたものの、熟睡していた自分が文句を言える立場ではない)寝起きでふらついていたルルーシュはスザクとはぐれてしまっていただろう。
だからスザクがルルーシュの手を握ったことに、深い意味なんてない。必要に迫られてのことなんだ、と自分に言い聞かせ。
(だから、早く手を離せ!)
声に出して言うことができない。言ってしまえば、自分ばかりが動揺していることを露呈してしまうよな気がしてならないからだ。
そこばかりに意識を集中してしまい、熱がますます高くなっている気がする。自分の手とはまるで別物のような気がしてしまい、堪らない。
そんなルルーシュのパニックを余所に、問題の手はあっさりと離された。
「――ごめん、ルルーシュ。ちょっと、電話」
「え? あ、ああ……」
どうやら携帯電話に着信が掛かってきたようだ。小さく振動し続けているそれを見せられ、もう一度スザクは「ごめん」と言って、ルルーシュと距離を取る。
自分には、聞かせたくない電話、なのだろうか。
人混みに紛れていくスザクを目で追いかけて、そんなことを思った自分ルルーシュははっとする。過日の件はひとまず忘れておくにして、昨日今日会ったばかりの相手のプライバシーを気にしてどうする。
(……けど、恋人は居ないと言っていたし……)
数時間前に海岸沿いを歩いていた光景がフラッシュバックする。
(――って、何を考えているんだ!)
慌てて首をブンブンと振って、止まない思考を取り払った。調子がひどく狂っていることを自覚しながら、とりあえずスザクを待とうと駅ビルの柱にルルーシュは背を預けた。
そんなことばかりに気を取られてしまっていて。
ルルーシュはうっかり失念していた。
今日、家を出てきた理由。
夜まで時間を潰さなければならなかった、その理由を。
「あら、ようやく帰ってきましたのね」
だから駅の出口、ルルーシュが帰宅するならば必ず通る道に待ち構えていた見覚えある顔がこちらへと寄ってきて、さあっと血の気が引いた。
さっきまでの非現実的な時間が、一気に遠ざかる。
「カノン……」
見覚えのある顔は、けれどこのような場所で見るにはあまりに不釣り合いで。
さらに、この人物がいるということは即ち、繋がる人物もひとりしか思い当たらない。
今朝方の伝言こそ、まさにその人物のものだ。
「お久しぶりですわ、ルルーシュ様。向こうでお兄さまがお待ちですわよ?」
ふふっと笑いながら、実に上品な立ち振る舞いで、けれど声や見かけは男の物で、ルルーシュには聞き慣れた口調で彼は言う。
決定打を与えられ逃げ道すら封じられたルルーシュの顔は引きつりを隠さなかったけれど、カノンはそれさえ楽しそうに見ていた。
その時だった。「ルルーシュ!」と、人混みをかき分けて、スザクは戻ってきた。はっとして振り返れば、小走りで向かってくるスザクの姿。ただでさえ早くなっていた心臓に熱が灯る。
ルルーシュが声を発する間もなく戻ってきたスザクは、戸惑っている様子のルルーシュに首を傾げている。背後から走ってきた彼は、カノンの姿が側に来るまで見えなかったのだろう。ルルーシュと対面している麗人に、状況がまったくわからないであろうスザクは「知り合い…?」と、ルルーシュに声を掛けていた。ルルーシュはどうしていいのかわからないままも、首を縦に振る。
一方のカノンはスザクの存在を訝しげに見ていた。
「あなたは……」
問う声に、ルルーシュは短く「……スザクだ」と答える。直ぐにスザクがカノンに手を差し伸べて、「枢木スザクです」と挨拶をする。
「……カノンよ。ルルーシュ様のお兄さんの秘書をやっているの」
よろしく、と挨拶に答えながら、もう一度カノンはスザクを見た。
「枢木……スザク、くん?」
確認するようにカノンが呟く。言いにくそうなカノンに、ルルーシュも首を傾げる。
(くるるぎ?)
そういえばスザクのファミリーネームを始めて聞いた。確かに言いにくそうだ、とその名前を反芻する。が、正直なところ今のルルーシュにとってスザクのファミリーネームなんてどうでもいい。カノンがいる。即ち、シュナイゼルがいる。昨晩の伝言通り、彼はルルーシュを迎えに来たのだろう。何たることだ。完全に逃げ道を失っているではないか!
そんなルルーシュの焦燥を余所に、カノンはスザクに名前を確認した後、「そう……」とまた呟き、「それじゃあ」と言う。
「あなたもとりあえず一緒に来たらいいわ」
「カノン?!」
「私はあなたを見つけて、連れてこいと言われただけですから。ボーイフレンドが一緒なのに、ルルーシュ様だけを連れていくなんて野暮なこと、私にはできませんわ」
「ボーッ?!」
思わぬカノンの口から出た単語に、ルルーシュはぼっ! と顔を赤くする。
そんなんじゃない! と、駅出口、人通りの大変多い場所で上げるには大きすぎた声にも、カノンは「あら、違うのかしら?」と首を傾げている。
スザクは「ええ、まあ……」と曖昧な返事をするばかりだった。
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(11.05.07)